グローバル化は環境を破壊するのか
ティム・ハーフォード『まっとうな経済学』を読んでみた。
第9章「ビールとフレンチフライとグローバル化」で、グローバル化は途上国における環境悪化をもたらすかどうかが論じられている。現実をみれば、途上国における環境悪化は、たしかに起こっている。しかしそれはグローバル化のせいなのだろうか。ハーフォードはそうではないという。
環境コストは大きなものではない。多くの企業が、本国と同じクリーンな技術を導入して、世界各地に工場を建設している。それはその種の標準化自体が経費節減につながるからにほかならない、というのだ。
それに、2013年1月にPM2.5で話題となった中国も、外国直接投資が今よりずっと少なかった時代の方が、大気汚染はひどかったそうだ。海外投資が急増する1990年頃には、だいぶ汚染はマシになっていた。長期でみれば、NO2もSO2も減ってきている。
ハーフォードによれば、中国政府は中国が豊かになると同時進行で規制強化に乗り出している。それとともに海外からの直接投資も増えているので、決してグローバル化とともに環境汚染が悪化しているわけではない。そして中国は豊かになるにつれて、環境対策を充実させていくだろう。
中国の環境問題は、急速な都市化や、主要なエネルギー源として質の悪い石炭を使っていることが原因だといわれる。なお下のリンクによると、2013年の大気汚染は、異常な寒波により暖房のための石炭の使用量が上がったことがあるようだ。
もちろん、中国の人々が、自動車も技術も輸入せず、海外の工場もつくらなければ、これほど急速な都市化が問題になることはなかったかも知れない。彼らはもっとゆっくりと発展したか、まったく発展しなかったかも知れない。
しかし、彼らに、経済成長を追い求めるなと主張することは、貧しい国の人々が、ずっとそのままでいるべきだというのと同じだ。
公衆衛生学のハンス・ロスリング教授はしばしば、環境保護意識の強い学生に出会うという。そうした学生たちは、途上国がこれ以上経済成長して、環境を悪化させるべきではないと主張する。しかしロスリングが「あなたがたの中で、洗濯機をいっさい使わない人は手をあげなさい」と聞くと、これまでのところ手をあげた学生は一人もいないそうだ。
ロスリング教授によれば、世界人口は2050年頃、90~100億人ぐらいで頭打ちになるという。そのときには、世界全体で50億人ぐらいの人が、洗濯機を使える家庭で暮らしていると予測する。それぐらいの生活を養う持続可能なエネルギーを、われわれはめざすべきだと彼は論じる。
次の図は、ロスリング教授がプレゼンで使っている図で、2010年の70億人が、どのレベルにいて、どれだけエネルギーを使っているかを表したものだ。

そして次の図は、同様に、2050年の90億人が、レベルごとに何十億人ずついるかを表し、また、エネルギー使用について、先進国が技術革新によって省エネを実現し、化石燃料の半分が再生可能エネルギーに置き換えられていったときのイメージだ。

ロスリング教授のプレゼンを見ると、地球上で90~100億人の人間が生活でき、環境も持続できる可能性が見えてくる。
われわれは、1972年のローマクラブ『成長の限界』が示した未来とはまったく異なる未来をつくることができるのではないだろうか。
そもそも、グローバル化がなく、資本主義が搾取しなければ、人々は幸せに暮らせるのだろうか?
若田部昌澄/栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』にも興味深い話が紹介されている。
毛沢東時代、特にひどい貧困の村が干ばつの時に一念発起して、土地を農民一人一人に割り当てて、それぞれに生産することにした。すると生産性が飛躍的に向上したそうだ。実質的に土地を私有制にすることで、農民のインセンティブを刺激したわけだ。(この時代の中国の話は『まっとうな経済学』でも取り上げられている)
そうしなければ、当時、彼らの多くが餓死していただろうと想像できるが、それはひどく不思議な感じがする。私有制にすれば餓死しなくて済んで、共産制、計画経済ではそうはならなかっただろうということは。しかし、いくら不思議であっても、歴史を見れば同様のことは何度も起きている。
だから、人々の全体的な幸福度がもっとも速やかに、十分に大きくなるには、資本主義をうまく活用することだ。
ただ、資本主義でやってきて、どうしてもうまくいかない部分はある。それは、資本主義自体を止めるのではなく、個別に修正を加えていけばいい。全体を共産主義にしたり、完全な計画経済にすることでは、構成員全員の幸福が十分に高まる社会はつくれないだろう。
![]() | まっとうな経済学 (2006/09/14) ティム・ハーフォード 商品詳細を見る |
第9章「ビールとフレンチフライとグローバル化」で、グローバル化は途上国における環境悪化をもたらすかどうかが論じられている。現実をみれば、途上国における環境悪化は、たしかに起こっている。しかしそれはグローバル化のせいなのだろうか。ハーフォードはそうではないという。
環境コストは大きなものではない。多くの企業が、本国と同じクリーンな技術を導入して、世界各地に工場を建設している。それはその種の標準化自体が経費節減につながるからにほかならない、というのだ。
それに、2013年1月にPM2.5で話題となった中国も、外国直接投資が今よりずっと少なかった時代の方が、大気汚染はひどかったそうだ。海外投資が急増する1990年頃には、だいぶ汚染はマシになっていた。長期でみれば、NO2もSO2も減ってきている。
ハーフォードによれば、中国政府は中国が豊かになると同時進行で規制強化に乗り出している。それとともに海外からの直接投資も増えているので、決してグローバル化とともに環境汚染が悪化しているわけではない。そして中国は豊かになるにつれて、環境対策を充実させていくだろう。
中国の環境問題は、急速な都市化や、主要なエネルギー源として質の悪い石炭を使っていることが原因だといわれる。なお下のリンクによると、2013年の大気汚染は、異常な寒波により暖房のための石炭の使用量が上がったことがあるようだ。
もちろん、中国の人々が、自動車も技術も輸入せず、海外の工場もつくらなければ、これほど急速な都市化が問題になることはなかったかも知れない。彼らはもっとゆっくりと発展したか、まったく発展しなかったかも知れない。
しかし、彼らに、経済成長を追い求めるなと主張することは、貧しい国の人々が、ずっとそのままでいるべきだというのと同じだ。
公衆衛生学のハンス・ロスリング教授はしばしば、環境保護意識の強い学生に出会うという。そうした学生たちは、途上国がこれ以上経済成長して、環境を悪化させるべきではないと主張する。しかしロスリングが「あなたがたの中で、洗濯機をいっさい使わない人は手をあげなさい」と聞くと、これまでのところ手をあげた学生は一人もいないそうだ。
ロスリング教授によれば、世界人口は2050年頃、90~100億人ぐらいで頭打ちになるという。そのときには、世界全体で50億人ぐらいの人が、洗濯機を使える家庭で暮らしていると予測する。それぐらいの生活を養う持続可能なエネルギーを、われわれはめざすべきだと彼は論じる。
次の図は、ロスリング教授がプレゼンで使っている図で、2010年の70億人が、どのレベルにいて、どれだけエネルギーを使っているかを表したものだ。

そして次の図は、同様に、2050年の90億人が、レベルごとに何十億人ずついるかを表し、また、エネルギー使用について、先進国が技術革新によって省エネを実現し、化石燃料の半分が再生可能エネルギーに置き換えられていったときのイメージだ。

ロスリング教授のプレゼンを見ると、地球上で90~100億人の人間が生活でき、環境も持続できる可能性が見えてくる。
われわれは、1972年のローマクラブ『成長の限界』が示した未来とはまったく異なる未来をつくることができるのではないだろうか。
そもそも、グローバル化がなく、資本主義が搾取しなければ、人々は幸せに暮らせるのだろうか?
若田部昌澄/栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』にも興味深い話が紹介されている。
![]() | 本当の経済の話をしよう (ちくま新書) (2012/08/06) 若田部 昌澄、栗原 裕一郎 他 商品詳細を見る |
毛沢東時代、特にひどい貧困の村が干ばつの時に一念発起して、土地を農民一人一人に割り当てて、それぞれに生産することにした。すると生産性が飛躍的に向上したそうだ。実質的に土地を私有制にすることで、農民のインセンティブを刺激したわけだ。(この時代の中国の話は『まっとうな経済学』でも取り上げられている)
そうしなければ、当時、彼らの多くが餓死していただろうと想像できるが、それはひどく不思議な感じがする。私有制にすれば餓死しなくて済んで、共産制、計画経済ではそうはならなかっただろうということは。しかし、いくら不思議であっても、歴史を見れば同様のことは何度も起きている。
だから、人々の全体的な幸福度がもっとも速やかに、十分に大きくなるには、資本主義をうまく活用することだ。
ただ、資本主義でやってきて、どうしてもうまくいかない部分はある。それは、資本主義自体を止めるのではなく、個別に修正を加えていけばいい。全体を共産主義にしたり、完全な計画経済にすることでは、構成員全員の幸福が十分に高まる社会はつくれないだろう。
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