市場化された日本版ワークシェアリング?
hamachanブログ: だんだん非正規化が日本版ワークシェアリングだったんだとおもえてきた。
上のエントリを見ると、2002年頃、ワークシェアリングについて盛り上がった時期があったようです。また、その時に書かれた文章を読むと、ところどころに新自由主義が一世を風靡していた時代の雰囲気を感じ取れます。
特に近年は万事アメリカ流の市場原理主義でなければ夜も明けないという風潮が強く、雇用調整助成金も、構造改革を妨げるけしからん制度だと攻撃を受けて大幅に縮小撤退を余儀なくされている状況
エントリに一部紹介されている文章のリンクを辿り、全文読んでみました。
ちなみに、リンク先はテキストがぶっきらぼうに表示されているだけで大変読みにくいため、clearlyを使って読みました。
すると、当時議論されていたワークシェアリングには4つの類型があると解説されています。全貌については原文を読んでいただくとして、わたしが興味を惹かれたのは第1の類型と、第4の類型です。
1.ノン・ワークシェアリング又は市場によるワークシェアリング
市場を通じて、神の見えざる手によっておのずからワークはシェアされるのであるぞよ、という立場なんです。生産性の低い連中を無理に企業内に置いていても仕方がない。さっさと外部労働市場に出せば、供給あるところ需要あり、そういう連中でも使いたいというのが必ず出てきて、その生産性に見合った賃金で雇ってくれるはずである。かくして、めでたく、市場メカニズムによってワークはシェアされ、みんなハッピーとなる
4.生活者全体のワークシェアリング
第4の類型、オランダ・モデルといわれるものは、狭義の「ワーク」を超えて、生活全体の時間のあり方をいかにシェアするかという問題意識から考えるべきものだと思います。これは「多様就業対応型」などと呼ばれ、「短時間勤務を導入するなど勤務の仕方を多様化し、女性や高齢者をはじめとして、より多くの労働者に雇用機会を与える」もの
このモデルの意義は、男性労働者はフルタイムで仕事だけ、女性労働者はパートタイムで仕事と家庭の両方の責任を負うという今までのワンアンドハーフ・ブレッド・ウィナー・モデルに対するオルタナティブとして、女性も男性のように働くアングロサクソン流の男女均等モデルではなく、男女ともに仕事と家庭責任を両立させて働くという新たな社会のあり方を提示したところにある
男性も女性も等しく家庭責任を果たし、地域社会に参加し、個人の生活を楽しむ時間を分かち合うと言うことになります。先ほど、この類型は、狭義の「ワーク」を超えて、生活全体の時間のあり方をいかにシェアするかという問題意識から考えるべきものと言いましたが、まさに生活時間シェアリング、人生シェアリングというところまで踏み込んだ、社会構成員全体を巻き込んだ大いなる連帯の仕組みと言うことができるでしょう
すべての人が、(いろいろな意味で)最大限に豊かに暮らせる社会を作るべきだとする立場からは、第1の類型は問題外で、第4を目指すべきです。ところが、第4の類型も、本来の目的を見失えば、単に「労働者を安上がりにして」雇用を不安定にするだけに終わる結果になる、と、濱口さんは最初のエントリで2009年の文を引用して解説しています。
オランダモデルの中核に位置するのは、フルタイムもパートタイムも厳格に同一賃金、均等待遇で、しかもフル・パート相互の転換を自由にするという仕組みである(略)ところが、その仕組みがなければ、要するにパートタイマーを増やして、労働力を安上がりにして、雇用を増やすことだと理解されかねない
・・・現実の労働市場においては、低賃金不安定雇用のフルタイム有期雇用や派遣労働の形で、まさしく非オランダ型の就業形態多様化が進んでいった。そして今、派遣切りや有期切りという形で、非正規労働者の雇用問題が注目を集める中で、再びワークシェアリングが論じられ始めたわけである
まったくもって、現実には、第4類型の建前すらも捨て去られ、ひたすら第1の類型を追求してきたような10数年間となったというわけで。
ところで強者が、弱者切り捨てに寄与する制度を作ろうとするえげつなさは、とことん糾弾すべきものですが、個々の企業が生き残りを賭けて第1類型を選ばざるを得ないとなるのは、理解できないでもないです。
それよりも、いかにも第4類型を目指しているように振る舞いながら、実質的には少しも一般の人の雇用に貢献せず、自分だけは一般とは違う働き方をして満足しているような、金に困らない市民活動系の人たちの方が厄介な気もします。そういう意識高いロハス系の言動が、ハイエナどもに利用されてきた10数年、とも言えるわけです。
そして結局のところ、現実的に不況の中で、世界的な金融危機の後ですら、4~5%台という日本の低い失業率を実現し得たのは、「市場によるワークシェア」を推し進めた経団連一味だったのではないか、という不気味な感想すら抱いてしまいます。
失業率は国によって測定条件が異なるから、単純に比較できない、といいますが、少なくともリーマンショック前後の推移を見て見れば、実質GDPの落ち込みに比べて失業率が大して高まっていないし、他国が危機後に一気に失業率が上昇したのに比べれば、日本の失業率の変化は相対的には小さく見えます。

出典:RIETI - リーマンショック後の日米欧経済を振り返る

出典:社会実状データ図録 失業率の推移
もちろん、このままでいいわけはないんです。正規と非正規は、均等待遇へ向かわなければならない。無期雇用でしかるべき場合には、無期で雇用されなくてはならない。労働者側が不当に不利な条件で雇用されることはあってはならない。
濱口先生は、2002年にも同じことで嘆き、2009年にも同じことで嘆き、そしていま、2014年にも同じことで嘆いているということで、社会のあまりの進歩のなさにあきれていらっしゃるかもしれません。
しかし、新自由主義や市場原理主義に対する世の中の捉え方は、たぶん、10年前とは変わってきているでしょうから、次の10年は、違ってくるかもしれません。
何よりも、恣意的な政府はすっかりもう否定される時代にあって、それでも経済成長と再分配には国家単位の力が必要なのだと、ケインズ的な経済政策が見直されてきたというのは、あきらかにそれは2002年とは異なる時代の空気というものがあると思います。
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