昨年12月3日付の記事で、外国人の目からみたアベノミクス的な内容のものがあり、たいへん興味深く読んだ。(
【特別企画】アベノミクスのジレンマ―破壊的再生か安楽な衰退か)
ここではアベノミクスは経済成長を志向し、リスクを取り、経済的苦難を乗り越えて国際社会における日本の存在感の向上を志向するもの、と、定義されている。一方、アベノミクスに反対する者は、平和主義者であり、安定を志向し、衰退を受け入れる、としている。
記事はいろいろと興味深いのだが、この分け方には反感を覚える。なぜなら、この二者択一では、もう一つの存在が無視されているからだ。
それは、左派でありかつ経済成長を志向する者たちの存在だ。安倍政権は支持できないが、かといって経済成長を諦めている野党はどうしようもなく頼りないと考えている人々だ。
弱者にとってもっともリスクの少ない政策とは、政府により管理された経済成長のもとで、国による再分配を積極的に行うことである。格差の固定化を防ぎ、弱者を最大限支援する。
経済成長志向であることと、開放的で、多様な関係の構築を是とし、多様な他者と誠実につきあうという志向はまったく矛盾しないで、共存できる。もちろん、経済成長と平和主義も共存できる。アベノミクスと成長否定派の二項対立でなく、経済成長左派がプラスされて、選択肢が三つあるという風でないといけない。
私は以前この三つ目の選択肢を「リフレ左派」と呼んでいたが、日本のリフレ派は金融緩和にかなりの重点を置いているようである。私は今後はそれ以外の政策を重視したいため、リフレという呼び名を外して、とりあえずいったん「経済成長左派」とでも呼ぼうと思う。
さて経済成長しようとしたとき、「金融緩和」「財政出動」「賃金上昇」といった政策が考えられるが、ニューヨーク・タイムズに「リベラルの良心」と題するコラムを書くクルーグマン氏は最近では明らかに財政出動と賃金上昇に軸足を置いている。
10年以上前には、彼は、デフレ脱却には財政出動が必要だとするリチャード・クー氏と対立し、金融緩和の重要性を説いたり、「低賃金労働を称えて」と題する文章を書いていたりしたが、リーマン・ショックを経て、2013年3月5日には、
「アメリカがデフレに陥らないのは賃金の下方硬直性があるから」という趣旨の記事を書いている。賃金のレベルの維持によって、需要が維持されるため、それがいかに経済にとって重要かということだ。
それについては、参議院議員の中西けんじ氏の2013年3月14日エントリ
「デフレ脱却と賃金~クルーグマンの最新ブログを読んで思う」の前半が参考になる。
彼の近年の主張は、景気回復は財政政策が主導すべきで、金融政策はあくまでも政府の一員として協力すべきというものです。
そんなクルーグマン教授が、日本以外の世界各国がデフレの直前まで行きながらなぜ踏みとどまることができたのかを、3月5日のブログに再び書いています。
つまり、経済をデフレ突入から守った要因にはさまざまなものが考えられるが、賃金の下方硬直性が重要だということなのです。金融緩和策などによって需給ギャップが縮小してデフレから脱却できるというのではなく、あくまでも賃金が下がらないためにデフレには成らなかったという主張です。
この記事は、改めて日本と海外の違いを明らかにしてくれます。日本では1990年代後半から現在に至る景気後退期において、解雇による失業率上昇を甘受しながら賃金水準を確保するという道を選ばずに、ワークシェアや賃下げによって雇用をできる限り確保しながら賃金水準を低下させてきました。1998年頃からの名目賃金の低下は、日本だけで見られた傾向です。
日本では賃金の下方硬直性がなかったので、長期デフレが続いているということは、広く認識されるべきことだ。
さて、ここでもう一度、冒頭に紹介した外国人の記事に戻ろう。白川前日銀総裁のスピーチについて言及している。
日銀の白川前総裁は退任半年後の2013年9月のスピーチで、穏やかなデフレは、ある程度において、雇用の最大化を確保するために日本社会が支払った代償だ、と述べた。慎重な白川前総裁はデフレ主義者たちの看板的存在となり、リフレ主義者たちの主な攻撃対象となった。白川前総裁によると、デフレは衰退を均一に分散させるための日本の「社会契約」の一環だという。大量一時解雇という欧米の慣習とは対照的に、日本企業は景気低迷期に賃金削減を通じて人件費を節約することができた。
白川前総裁の「衰退を均一に分散させる」という思惑とは裏腹に、デフレになって20年間、もっぱら弱い者、運が悪かった者に、衰退は偏在している。それに、格差はますます固定化されてしまった。
もしも賃金の下方硬直性のなさがデフレの主な原因の(唯一ではないにしろ)一つであったなら、これを上昇させなければ、経済の回復はないだろう。
またもう一つ重要なことは財政政策である。財政政策には財源が必要だが、企業が設備投資に消極的で、金が余っているうちは、国債の需要があって金利も低くなるので、国債を発行して国が支出を維持することのリスクは低い。その間は、積極的な財政政策により需要をつくり、できるだけ賃金の高い雇用を増やすことが必須である。建設分野も、国のインフラを保てないほど人材が減ってしまったが、これを立て直して、維持できるようにしなければならない。
こうしたことは、古い固定観念で財政再建を最優先といい、国の債務批判を繰り返してきた経済学者や、経営サイドのユウシキシャや、国民の世論に責任がある。国を衰退させては、財政再建もなければ弱者救済もない。
国の債務について心配な方には、『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』が一つの見方を提供してくれる。
この本の内容については、著者の方がブログでも詳しく解説されている。
財出27 新著『日本国債のパラドックス‥‥学』Ver.1