グローバル化は環境を破壊するのか

ティム・ハーフォード『まっとうな経済学』を読んでみた。

まっとうな経済学まっとうな経済学
(2006/09/14)
ティム・ハーフォード

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第9章「ビールとフレンチフライとグローバル化」で、グローバル化は途上国における環境悪化をもたらすかどうかが論じられている。現実をみれば、途上国における環境悪化は、たしかに起こっている。しかしそれはグローバル化のせいなのだろうか。ハーフォードはそうではないという。

環境コストは大きなものではない。多くの企業が、本国と同じクリーンな技術を導入して、世界各地に工場を建設している。それはその種の標準化自体が経費節減につながるからにほかならない、というのだ。

それに、2013年1月にPM2.5で話題となった中国も、外国直接投資が今よりずっと少なかった時代の方が、大気汚染はひどかったそうだ。海外投資が急増する1990年頃には、だいぶ汚染はマシになっていた。長期でみれば、NO2もSO2も減ってきている。

ハーフォードによれば、中国政府は中国が豊かになると同時進行で規制強化に乗り出している。それとともに海外からの直接投資も増えているので、決してグローバル化とともに環境汚染が悪化しているわけではない。そして中国は豊かになるにつれて、環境対策を充実させていくだろう。

中国の環境問題は、急速な都市化や、主要なエネルギー源として質の悪い石炭を使っていることが原因だといわれる。なお下のリンクによると、2013年の大気汚染は、異常な寒波により暖房のための石炭の使用量が上がったことがあるようだ。


もちろん、中国の人々が、自動車も技術も輸入せず、海外の工場もつくらなければ、これほど急速な都市化が問題になることはなかったかも知れない。彼らはもっとゆっくりと発展したか、まったく発展しなかったかも知れない。

しかし、彼らに、経済成長を追い求めるなと主張することは、貧しい国の人々が、ずっとそのままでいるべきだというのと同じだ。

公衆衛生学のハンス・ロスリング教授はしばしば、環境保護意識の強い学生に出会うという。そうした学生たちは、途上国がこれ以上経済成長して、環境を悪化させるべきではないと主張する。しかしロスリングが「あなたがたの中で、洗濯機をいっさい使わない人は手をあげなさい」と聞くと、これまでのところ手をあげた学生は一人もいないそうだ。

ロスリング教授によれば、世界人口は2050年頃、90~100億人ぐらいで頭打ちになるという。そのときには、世界全体で50億人ぐらいの人が、洗濯機を使える家庭で暮らしていると予測する。それぐらいの生活を養う持続可能なエネルギーを、われわれはめざすべきだと彼は論じる。

次の図は、ロスリング教授がプレゼンで使っている図で、2010年の70億人が、どのレベルにいて、どれだけエネルギーを使っているかを表したものだ。
2010年のbillions

そして次の図は、同様に、2050年の90億人が、レベルごとに何十億人ずついるかを表し、また、エネルギー使用について、先進国が技術革新によって省エネを実現し、化石燃料の半分が再生可能エネルギーに置き換えられていったときのイメージだ。
energyuse.jpg

ロスリング教授のプレゼンを見ると、地球上で90~100億人の人間が生活でき、環境も持続できる可能性が見えてくる。


われわれは、1972年のローマクラブ『成長の限界』が示した未来とはまったく異なる未来をつくることができるのではないだろうか。

そもそも、グローバル化がなく、資本主義が搾取しなければ、人々は幸せに暮らせるのだろうか?

若田部昌澄/栗原裕一郎『本当の経済の話をしよう』にも興味深い話が紹介されている。

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)本当の経済の話をしよう (ちくま新書)
(2012/08/06)
若田部 昌澄、栗原 裕一郎 他

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毛沢東時代、特にひどい貧困の村が干ばつの時に一念発起して、土地を農民一人一人に割り当てて、それぞれに生産することにした。すると生産性が飛躍的に向上したそうだ。実質的に土地を私有制にすることで、農民のインセンティブを刺激したわけだ。(この時代の中国の話は『まっとうな経済学』でも取り上げられている)

そうしなければ、当時、彼らの多くが餓死していただろうと想像できるが、それはひどく不思議な感じがする。私有制にすれば餓死しなくて済んで、共産制、計画経済ではそうはならなかっただろうということは。しかし、いくら不思議であっても、歴史を見れば同様のことは何度も起きている。

だから、人々の全体的な幸福度がもっとも速やかに、十分に大きくなるには、資本主義をうまく活用することだ。

ただ、資本主義でやってきて、どうしてもうまくいかない部分はある。それは、資本主義自体を止めるのではなく、個別に修正を加えていけばいい。全体を共産主義にしたり、完全な計画経済にすることでは、構成員全員の幸福が十分に高まる社会はつくれないだろう。

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雨宮さんの「反富裕」スローガンは効果があるのか

所得格差の小さい国、日本

日本の所得格差は比較的小さいと言われている。
所得の指標の取り方はいろいろあるが、たとえば下のグラフを見ると、先進国の中では小さい方に属している。
shotokukakusa.jpg
出典:社会実情データ図録

※最近、ジニ係数が上昇し、所得格差が拡がりつつあるように見えるのは、高齢化により定年退職した人の割合が多くなっているからである。

また、法人税は外国に比べて高く設定されており、超富裕層への課税も、同様に高めに設定されている。

参考:個人所得課税の実効税率の国際比較(夫婦子2人(専業主婦)の給与所得者)
財務省サイトより
jikkouzeiritsu.jpg

この図は、「子どもが2人いる夫婦で、夫と専業主婦の家庭」の所得課税を比較したものだが、年収5000万円の手前位からは、イギリスについで2番目に高い税率となっている。日本は他国よりも平等意識が強く、それが税制に表れていると言えるかもしれない。そもそも高額所得者が少ないので、どのみち超富裕層から徴収できる税金の総額はそう大きくはないだろう。

中流への課税が少ない国、日本

もう一つ気が付くことは、年収2000万以下の家庭では、税率がどの国よりも低いことだ。

これには問題がある。

なぜなら、バブルが崩壊してデフレが続いた20年間に、日本では非正規労働者の割合が増え、低所得者層と中所得者層の間の乖離が大きくなってしまった。

他の国では、中所得者層からしっかり税金をとって、低所得者層に再分配しているのに、日本はそこの再分配が行なわれていない。

結果として、日本は、低所得者層への給付が非常に少ない国となっている。

貧困運動をしている方々は、よく注意すべきではないかと思う。

金持ちから金を取れ、法人から金を取れ、とスローガンをかかげたとしても、もうすでに日本は超大金持ちと法人からは他国よりもたくさん金を取っている。

事実をありのままに見れば、もう少し、中流層が負担することを考えるべきだろう。


経済成長による全体の底上げには頼れるか?

もう一つの可能性は、20年間のデフレをせっかく脱却しようというところで、経済成長の効果で、底上げを期待できるかも知れない。

ここで面白いデータをご紹介。(↓のリンクをクリック)
Income Distribution 1970-2000

最初、「World」にだけチェックが入っていると思うので、これは外して、「Japan」「USA」にチェックを入れて、プレイボタンを押してみると、日本の所得が、低所得者側は底上げされながら移動し、高所得者側は伸びたり縮んだりするのがわかる。USAは比較にちょうどよいので一緒にチェックしてもらったが、別に中国を選んだり、ブラジルを選んで見てもいい。

これはあくまで参考ではあるが、所得の底上げのイメージはかなりつかみやすいと思う。

低所得者側の底上げは、デフレに入った後、止まっているはずだが、それをふたたび引き起こすなら、たとえ高所得者側がもっと伸びて、格差が拡がっても、気にすることはなく、中間層の負担もこのままでもいい、という可能性があるのではないか。

もうしばらく様子を見てもいいかもしれない。特に中間層への増税は、心理的萎縮をもたらして、せっかくのデフレ脱却を台無しにする心配がある。

しかし、現実にいま、たとえば子どもの貧困が、再分配によって救済されない状況が存在するのだから、もう少し中間層が、所得税において負担をしてもいいのではないか、とも考えられる。

その可能性を、考え始めるべきだろう。


スローガンは「反富裕」ではないはずだ

こうしたことを考えれば、雨宮処凛氏は「反富裕」を唱えている場合ではない。
超富裕層をターゲットにしてもほとんど意味がない。
かといって、中流を敵に回すということでもない。
敵に回せば、足の引っ張り合いということにもなりかねないが、本当にやりたいことは中流の果実を下流とシェアすることである。

中流の人は、いつか万が一、不運に遭って自分が低所得者になったときに、きちんと保障してもらえる社会の方が、安心して暮らせるだろう。

そして、低所得者と中所得者の格差があまり大きいと、分断が起き、片方の恨みがつのったり、社会情勢が不安になるだろう。そんな社会で、中流の人も暮らしたくはないはずだ。そのためには、再分配に日本よりも成功している欧州を参考にしてもいいのではないか。

幸いいま日本は、デフレから脱却しようとしている。リフレになり賃金が上がる、もしくは、労働分配率が下がって、結果として労働者が長時間労働をしなくてもよい雰囲気になっていく、その中では、中流への課税はより心理的な負担感が軽い可能性がある。

したがってリフレの継続も重要である。

これらを考えるならば、反貧困運動の人たちは、しっかりした経済成長と、雇用の増加と、そして中流層への所得課税の強化というところを訴えていくべきだろう。

もう一つ言えば、配偶者控除の廃止を非難している場合でもない。
女性の社会進出を促進などといったたわけた理由(※)など考慮に値しないが、公平な課税制度を考えれば、配偶者控除を廃止し、低所得者や子育て世帯への給付へと切り替えるべきだろう。

(※補足)配偶者控除を廃止・圧縮すれば女性の活用が進む、とされているが、これに対してはたとえば以下のような反論があり、わたしも同感である。
  • 話はそんなに単純ではあるまい。女性の社会進出を阻んでいる大きな要因は、保育所の待機児童や介護施設の定員不足に代表される「子どもを預けられず、介護も女性任せ」で、とても安心して働きには出られない社会構造にある(東京新聞より

(追記2)
このエントリは「KYの雑記ブログ」の中にある「再分配のための基礎的指標」に着想を得て書かれています。そちらもどうぞご参照ください。


テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

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