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ynabe先生のニセ科学批判批判

わたしはあまりニセ科学批判が好きではありません。しかしニセ科学批判批判は常にばかばかしい展開をともなうので、ふだんはあまり公言しないのですが、今日のynabe先生のツイートが、ニセ科学批判に対する気持ちをだいたい代弁してくれていたので、書いておこうと思います。

行動主義の心理学者から見れば世の中は科学者も一般人も同様に非科学的な信念に基づいて生きているものに見える。しかしそれは言っても詮無きことである。
https://twitter.com/ynabe39/status/449681165046149120

ニセ科学だから悪いんじゃなくてそれで人を騙したり傷つけたり人の商売を邪魔したりするから悪いんで、悪いことは原則的に結果の善悪で裁かれるべき。
https://twitter.com/ynabe39/status/449678876847779841

「科学的でない」という批判のしかたはなんとなく価値判断から独立で客観的なように見えるから多用されるのだと思うけど、そもそも何に対して「科学的でない」という批判をするかという選択は価値判断そのものだと思う。
https://twitter.com/ynabe39/status/449679655675506688

血液型性格判断を非科学的と批判するなら「自分の行動は自分の意思で決定している」というもっと重大で広く共有されている非科学的信念をなぜ批判しないのか(行動主義心理学者)。
https://twitter.com/ynabe39/status/449681165046149120


さすがynabe先生という感じでうまく書かれていると思うのですが、論点自体は既出のものなので、ニセ科学批判系の人がこれで納得するとはぜんぜん思えません。

結局、この辺を「まったくその通り」と思うか、さらにこれに反発を感じるかは、人の価値観や、感性によるものですので、丁寧に議論すれば、有用な結果が…などと期待できるものでもないのです。

この辺で納得できない人は、百万言を費やしても納得されないと思うので、議論はしないのが吉であります。


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テーマ:雑記 - ジャンル:日記

テレ東がLAW & ORDERを昼枠で放映開始 & 哀しき格差社会を爽快に描く回

かねてより、米国ドラマ「ロー&オーダー」の吹き替え版を地上波で放送すべきと思っていました。
すると!なんと、このLAW & ORDERの放映を、テレビ東京が3月24日より月~木の昼枠で始めたというのです。
刑事ドラマ LAW&ORDER | テレビ東京

テレ東GJ!

さて今日ケーブルテレビで観たのは「カナダから来た小悪魔」。ナイアガラのカナダ側にある貧しい土産物店の娘が、アメリカの富裕層の妻を殺して後妻になり、放埓な生活で離婚されそうになると、夫も、連れ子も、人を雇って殺してしまい、さらにはその雇った女も殺してしまいます。

ドラマの中では必ず、犯人と疑われる人物の取り調べに、弁護士が同席するシーンが描かれています。不利な証言をするにあたっては常にそばの弁護士と相談するのです。弁護士側も、たとえどんなに怪しい人物でも、堂々と全力で弁護するのだけど、この辺は、最近読んだ大屋雄裕氏のインタビューを思い出します。

どんな人が「法学部に向いていない」のでしょうか

まず、自分の良心を忘れられない人は、まったく向きません。正義の人は、法学部に来てはいけないのです。法律家という括りにおいては、どういう立場で仕事をするのか、決められていないからです。

大屋 雄裕 准教授[法哲学]名古屋大学 | 教授の授業「正義の人は、法学部に来てはいけない」


後妻は形勢不利と見ると、死刑制度のないカナダに逃げ込みます。アメリカでは死刑のない州もあるのですが、後妻が暮らしていたNYには死刑があるのです。検察のマッコイは上司とともにカナダと交渉。カナダは「死刑のある地域に引き渡しできない」と断ってきます。マッコイたちは「過去に引き渡した事例がある」と応酬。カナダ側の言い分は、「それは米国人だったからだ。われわれは外国人の殺人犯が自国にいるのを好まない」というもので、今回はカナダ人だから人権を守らないといけないと。死刑にしないなら引き渡す、という条件を提示してきました。

マッコイは基本は死刑廃止論者だけども、法は徹底的に守る人物という設定になっており、今回の事件でも、4人も殺した殺人者なら、死刑に値すると主張。結局カナダ側は犯人を米国に引き渡したのですが、この辺のやりとりはとても興味深いものでした。

で、まぁ、世の中にはこんな感想もあって、アメリカでも熱狂的にこのドラマを支持しているのは、こんな爽快感を感じられるからかも知れないのですが…。

小悪魔じゃないって・・・死刑に迷いなし!なエピ。
いくら自称強欲でも、ここまでやるか?と思いましたね。
マッコイ&アビーの凶悪犯に容赦なしっていう姿勢がストレートの伝わり、
エピにも迷いがなく視聴後も納得で。
マッコイの被告人が地獄を見る反対尋問は、まさに私をウットリさせてくれました。
検事長の会心の笑みでしたね。
~ Best <2> - 「Law&Order」が好きだ!!(邪道にて)


マッコイは反対尋問で、犯人の女を追い詰めていきます。アメリカの富裕社会に来て、劣等感を感じなかったか、洗練された社会の住民と、自分がいかに違うかを、しみじみと感じなかったか。女は激高して「私は誰よりも賢いのよ!彼らの成功はただの運なのに、必死でのし上がった私を見下していたわ!」と叫びます。
(訳は同じくこちらのブログから)
シーズン9 #9「カナダから来た小悪魔」 - 「Law&Order」が好きだ!!(邪道にて)

格差社会の切なさを味わえる回でもありました。



派遣労働者保護に舵を切る労働者派遣法改正案

去年8月に、「今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会」報告書が発表されました。それを受けて今年3月11日、改正案が閣議決定され、予定では今国会で成立、来年4月から施行となっています。

この改正案の方向性については、どうも多くの人に誤解されているように思います。わたしもいろいろと調べてみるまで、派遣期間の制限などについて、趣旨をまったく理解していませんでした。

hamachanブログ『Vistas Adecco』36号の記事がアップされましたを見て、「有期雇用(契約)の派遣労働者の場合、3年を超える派遣では派遣先企業内で労使双方が同意すれば、同じ職場で派遣労働者を受け入れることができる。ただし3年ごとに人を交代させる必要がある。」ってどういうこと??と、頭の中はまったくハテナ状態でありました。

調べてみると、派遣が日本の労働環境を悪化させるかというと、これまでの私自身のイメージとは異なり、必ずしもそうはならないとの印象が強くなってきました。

とにもかくにも、改正法案の趣旨をまったく誤解したままでは話が成り立ちません。

今回手がかりとしたのは次の三つです。

法改正で派遣はこうなる!―週刊東洋経済eビジネス新書No.33 [Kindle版]

今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会報告書(平成 25 年8月 20 日) 概要(PDF)

2013年8月22日 第33回労働政策審議会審議会議事録 |厚生労働省


週刊東洋経済eビジネス新書の記事はわかりやすかったです。Kindle版が100円でダウンロードできるのでおススメ。

しだいにわかってきたことは、これまでの派遣法は、正社員の派遣化を防ぐことがもっぱらの趣旨とされていて、決して派遣の正社員化・無期雇用化をめざしたものではなかった、ということです。

たとえば、期間を経過した派遣業務について、現場の他の正社員(労組またはそれに相当する立場の者)に、意見を聴くように定められています。このプロセスでは、正社員数を減らして派遣は残すという方向になるのを、労組が阻止する、という役割が期待されています。

あくまでも、正社員から派遣への置き換えを防止することに主眼があって、派遣側の保護が目的であるわけではありません。

一応、法律には「当該同一の業務に労働者を従事させるため、当該三年が経過した日以後労働者を雇い入れようとするときは、当該同一の派遣労働者に対し、労働契約の申込みをしなければならない。」といった一文があるのですが、派遣先企業はあれこれと工夫して、結局直接雇用を避けてしまいます。

それでは、直接雇用させることを強制する法律にすればいいではないか、となりますが、企業側がそれほど頑固に嫌がっているもの、つまり強制すればただちに経営が厳しくなると考えられているものを、自由経済においていったい強制できるものなのか、ということが疑問ですし、それにそもそも、いまのように不確実性が高く、成長産業が時々刻々とかわり、人々の価値観が多様である社会で、そんな強制は時代に合っているのかどうかも疑問です。時代にそぐわないものを無理に制度化すると、結局のところ、しわよせは弱者に行ってしまうものです。

なぜ企業がこれほどまで頑なに、派遣の正社員化をこばむのかといえば、不確実性の高い時代にあって、いつ取り止めるかわからないような業務に、日本的雇用慣行の枠内での正社員を雇いたくはないからでしょう。

企業の直接雇用への忌避感について、週刊東洋経済の記事によく描写されています。

10年3月、当時の民主党政権が作成した「専門26業務派遣適正化プラン」に基づき、全国の労働局の指導官が派遣先企業へと実態調査に入った。(略)指導官は、業務がこの基準に合わないと判断した場合、容赦なく派遣契約の終了を迫った。
これに驚いたのが派遣先だ。(略)突如、「違法派遣」だと指導されるようになったためだ。そのうえ民主党改正案の柱の一つである、違法派遣時の派遣先の「労働契約申し込みみなし制度」が導入されれば、派遣先は単なる「顧客」だったはずが一転、雇用主責任に直面する。これを恐れた派遣先からは契約解除が相次ぎ、ある大手派遣会社では9割を占めた26業務は6割まで落ちた。
(略)
その後も「『派遣は怖い』との印象が強く、顧客が戻らない」(関係者)でいる。



上で書かれたのは専門26業種の派遣についてなので、景気循環にともなって雇用調整が必要なものなのかどうか、ちょっとわからないのですが、この描写からは、景気循環にともなった調整が必要となりそうな業務に対しても、企業はもはや、正社員を増やして対応しようとはしなくなったことは確実です。派遣を切った企業は、おそらく既存の社員でやりくりしたか、どうせ直接雇用になるならと、バイトかパートに流れたかも知れません。

結局企業としても人を雇いたくないわけではない。「景気が続く限り、その事業で採算性が確保できる限り」人員をそこに雇いたいわけなのです。

それは、アルバイトやパートでなく、派遣であるべきなのでしょうか?とりあえず専門的人材の確保や、給与管理のアウトソースといったところで、企業が派遣を選択する理由はあるでしょう。

ともかく今回の改正案では、派遣先企業に対しては、業務内容に関わらず、派遣される労働者が派遣元と無期雇用であれば、派遣先の期間への制約はなくなることになりました。

(3)常用代替防止の再構成
○ 有期雇用派遣は、間接雇用かつ有期雇用であるため、派遣労働者の雇用の不安定性、キャリアアップの機会が乏しい、派遣先での望ましくない派遣利用の可能性、拡大しやすい性質といった特徴があることから、一定の制約を設け、無限定な拡大を抑制していくことが望ましい。
○ 常用代替防止の考え方は、今後、対象を有期雇用派遣に再整理した上で、 個人が特定の仕事に有期雇用派遣として固定されない、また労働市場全体で有期雇用派遣が無限定に拡大しないという個人レベルの常用代替防止
派遣先の常用労働者が有期雇用派遣に代替されないことという派遣先レベル
の常用代替防止
の2つを組み合わせた考え方に再構成。
○ 無期雇用派遣は常用代替防止の対象から外すが、無期雇用の労働者にふさわしい良好な雇用の質の確保を図っていくことが望まれる。

今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会報告書(平成 25 年8月 20 日) 概要より



派遣労働者から見れば、その企業の事業が続く限り、同じ職場で同じ業務に携われることになります。仮に同一賃金同一労働が実現したとしても、やはり、一つの職場に習熟するほど、労働者の生産性は上がりますから、企業にとっても労働者にとっても長く続いた方が益は大きいものです。

今回の改正で、派遣先企業の「その事業で採算性が確保できる限り、人員をそこに雇いたい」というニーズを満たし、派遣労働者側の「無期で働く」という必要も満たそうというのですから、悪い方向性とは思えません。

では採算性が確保できそうになくなって、バンバン人を切り始めたらどうなるか?本来、その会社の経営者含めた全員で給与を分け合ってやりくりできたかも知れないのに、経営者は自分の利益だけは確保して、弱い派遣を切ってしまうんではないでしょうか?

それに対しては、国レベルで適切に貨幣の供給がなされて、雇用の量が維持できるなら、人々の移動先も確保されるはずだ、という答えがあります。企業が人を切る、ということは、その企業や事業には将来性が見込めなくなっているのです。だから別の事業で人が雇われるのが望ましい姿です。貨幣量の増加によって、社会全体に雇用を確保できる理論については、こちらに紹介されています。古谷利裕さんの日記2013-12-12
社会を構成する人々の間に適切に金を回し、雇用を維持することは重要な国家の役割です。

残る問題は相変わらず有期の制約がある、派遣元と有期契約になる労働者です。これについては、派遣元に対するより強い教育義務と、無期雇用へ誘導する義務がうまく働けばよいでしょう。

もちろん、正社員との待遇差の解消は、引き続き重要な課題です。しかしそれは、派遣労働者を保護しないからといって、解消できるというものでもありません。(正社員からの置き換えを防ぐことしか実現しない制度というのは、派遣労働者の保護をないがしろにします)

派遣が間接雇用だからといって、今後もずっと悲惨な扱いだ、と決まっているわけでもありません。派遣が単なるバイトの置き換えでなく、業務のオンサイト請負型になるなど、派遣先企業側にメリットを与えつつ、労働者の地位向上にもつながるビジネスモデルの可能性は、それなりにあると思いますし、パソナなどもそうしたビジネスモデルをめざしています。

今後、金融緩和が実際に効果を発揮し、雇用が増加し景気が回復していく中で、雇用調整金は必要なくなっていくでしょう。その替わり、ということでもないですが(別にそれはそれ、これはこれでもよいのですが)、しっかりと雇用支援金を積んで、労働者が生活に支障なく雇用教育を受けられて、新規雇用や再就職や待遇改善につながる仕組みを構築しなければならないです。

北欧で実現されている「失業なき雇用移動」という価値観に、日本も早く慣れていく必要があるでしょう。

市場化された日本版ワークシェアリング?

ツイッターのふとしたつぶやきが、hamachan先生に捕捉されてしまいました。

hamachanブログ: だんだん非正規化が日本版ワークシェアリングだったんだとおもえてきた。

上のエントリを見ると、2002年頃、ワークシェアリングについて盛り上がった時期があったようです。また、その時に書かれた文章を読むと、ところどころに新自由主義が一世を風靡していた時代の雰囲気を感じ取れます。

特に近年は万事アメリカ流の市場原理主義でなければ夜も明けないという風潮が強く、雇用調整助成金も、構造改革を妨げるけしからん制度だと攻撃を受けて大幅に縮小撤退を余儀なくされている状況


エントリに一部紹介されている文章のリンクを辿り、全文読んでみました。
ちなみに、リンク先はテキストがぶっきらぼうに表示されているだけで大変読みにくいため、clearlyを使って読みました。

すると、当時議論されていたワークシェアリングには4つの類型があると解説されています。全貌については原文を読んでいただくとして、わたしが興味を惹かれたのは第1の類型と、第4の類型です。

1.ノン・ワークシェアリング又は市場によるワークシェアリング
市場を通じて、神の見えざる手によっておのずからワークはシェアされるのであるぞよ、という立場なんです。生産性の低い連中を無理に企業内に置いていても仕方がない。さっさと外部労働市場に出せば、供給あるところ需要あり、そういう連中でも使いたいというのが必ず出てきて、その生産性に見合った賃金で雇ってくれるはずである。かくして、めでたく、市場メカニズムによってワークはシェアされ、みんなハッピーとなる

4.生活者全体のワークシェアリング
第4の類型、オランダ・モデルといわれるものは、狭義の「ワーク」を超えて、生活全体の時間のあり方をいかにシェアするかという問題意識から考えるべきものだと思います。これは「多様就業対応型」などと呼ばれ、「短時間勤務を導入するなど勤務の仕方を多様化し、女性や高齢者をはじめとして、より多くの労働者に雇用機会を与える」もの

このモデルの意義は、男性労働者はフルタイムで仕事だけ、女性労働者はパートタイムで仕事と家庭の両方の責任を負うという今までのワンアンドハーフ・ブレッド・ウィナー・モデルに対するオルタナティブとして、女性も男性のように働くアングロサクソン流の男女均等モデルではなく、男女ともに仕事と家庭責任を両立させて働くという新たな社会のあり方を提示したところにある

男性も女性も等しく家庭責任を果たし、地域社会に参加し、個人の生活を楽しむ時間を分かち合うと言うことになります。先ほど、この類型は、狭義の「ワーク」を超えて、生活全体の時間のあり方をいかにシェアするかという問題意識から考えるべきものと言いましたが、まさに生活時間シェアリング、人生シェアリングというところまで踏み込んだ、社会構成員全体を巻き込んだ大いなる連帯の仕組みと言うことができるでしょう


すべての人が、(いろいろな意味で)最大限に豊かに暮らせる社会を作るべきだとする立場からは、第1の類型は問題外で、第4を目指すべきです。ところが、第4の類型も、本来の目的を見失えば、単に「労働者を安上がりにして」雇用を不安定にするだけに終わる結果になる、と、濱口さんは最初のエントリで2009年の文を引用して解説しています。

オランダモデルの中核に位置するのは、フルタイムもパートタイムも厳格に同一賃金、均等待遇で、しかもフル・パート相互の転換を自由にするという仕組みである(略)ところが、その仕組みがなければ、要するにパートタイマーを増やして、労働力を安上がりにして、雇用を増やすことだと理解されかねない

・・・現実の労働市場においては、低賃金不安定雇用のフルタイム有期雇用や派遣労働の形で、まさしく非オランダ型の就業形態多様化が進んでいった。そして今、派遣切りや有期切りという形で、非正規労働者の雇用問題が注目を集める中で、再びワークシェアリングが論じられ始めたわけである


まったくもって、現実には、第4類型の建前すらも捨て去られ、ひたすら第1の類型を追求してきたような10数年間となったというわけで。

ところで強者が、弱者切り捨てに寄与する制度を作ろうとするえげつなさは、とことん糾弾すべきものですが、個々の企業が生き残りを賭けて第1類型を選ばざるを得ないとなるのは、理解できないでもないです。

それよりも、いかにも第4類型を目指しているように振る舞いながら、実質的には少しも一般の人の雇用に貢献せず、自分だけは一般とは違う働き方をして満足しているような、金に困らない市民活動系の人たちの方が厄介な気もします。そういう意識高いロハス系の言動が、ハイエナどもに利用されてきた10数年、とも言えるわけです。

そして結局のところ、現実的に不況の中で、世界的な金融危機の後ですら、4~5%台という日本の低い失業率を実現し得たのは、「市場によるワークシェア」を推し進めた経団連一味だったのではないか、という不気味な感想すら抱いてしまいます。

失業率は国によって測定条件が異なるから、単純に比較できない、といいますが、少なくともリーマンショック前後の推移を見て見れば、実質GDPの落ち込みに比べて失業率が大して高まっていないし、他国が危機後に一気に失業率が上昇したのに比べれば、日本の失業率の変化は相対的には小さく見えます。

leemango.jpg
出典:RIETI - リーマンショック後の日米欧経済を振り返る

situgyoritu.jpg
出典:社会実状データ図録 失業率の推移

もちろん、このままでいいわけはないんです。正規と非正規は、均等待遇へ向かわなければならない。無期雇用でしかるべき場合には、無期で雇用されなくてはならない。労働者側が不当に不利な条件で雇用されることはあってはならない。

濱口先生は、2002年にも同じことで嘆き、2009年にも同じことで嘆き、そしていま、2014年にも同じことで嘆いているということで、社会のあまりの進歩のなさにあきれていらっしゃるかもしれません。

しかし、新自由主義や市場原理主義に対する世の中の捉え方は、たぶん、10年前とは変わってきているでしょうから、次の10年は、違ってくるかもしれません。

何よりも、恣意的な政府はすっかりもう否定される時代にあって、それでも経済成長と再分配には国家単位の力が必要なのだと、ケインズ的な経済政策が見直されてきたというのは、あきらかにそれは2002年とは異なる時代の空気というものがあると思います。
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