非定型で非効率な業務に投入される派遣

定型業務的な事務仕事というと、たいてい派遣で、時給で、もちろん賞与などはなく、残業も大してないといったイメージだ。

定型業務というからには、正社員がわざわざ時間を取ってやるのが惜しいような単純労働のイメージがある。えんえんとハンコをついたり、コピー取りだの、紙の書類のファイリングだのといったものだ。

しかし、私は思うのだが、本当に定型的で効率的な状態になっていたら、むしろ派遣でなく社員でこなせるのである。システムで自動入力できるところは自動で入り、下調べ的な突合せも自動的に行われて、最後に人の判断が必要なものだけが毎日レポートで上がってくるようになっているだろう。

いまどき、事務仕事的な派遣が投入される業務は、十分にIT化されていない、どうしても人間が携わらなければならないたぐいのものだ。

会社としてあんまりやりたがらない、気合いを入れてIT投資できない分野に多いだろう。

そういう仕事では、たいてい、人が目で見てカクニンするポイントがとても多くなっている。

人が目で見てカクニンするポイントが多ければ多いほど、また、人が手で情報を入力する回数が多ければ多いほど、間違う可能性は高くなる。

私は派遣仕事を始めた頃に何度か「早くやらなくていい。ゆっくり時間がかかっても間違えないことが重要」と言われたが、結局、プロセスとして間違えるポイントが少なければ、早く間違えずにできるし、間違えるポイントが多いなら、どんなにゆっくりやっても間違える。

仕組みとして、間違えるポイントをいかになくすかが、ミスに対する最大の防御であり、それをやらない限り、いかに人間がゆっくりカクニンしても、ミスは起こるものだ。

だから早くやるから間違える、ゆっくりやれば間違えない、といった話ではないのだ。

OA化によって単純作業がなくなってきたことを批判する人は多いが、私は単純ミスを起こすような仕事はなくなる方が良いと思っている。

企業がきちんとIT投資をして、人間がバカバカしいミスで非難されることがなくなり、そんな非効率的な業務に携わる必要がなくなり、そのかわりにもっと満足感の大きい仕事が増えると良いと思う。
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パイを大きくすること、左派に期待すること

先日ビル&メリンダ・ゲイツ財団が「貧困対策を妨げる3つの神話」と題して、年次書簡を公開しました。

Wikipediaによれば財団は2000年に設立され、「全ての生命の価値は等しい」との信念のもと、全ての人々が健康で豊かな生活を送るための支援を実施してきているとのことです。

書簡は次のように始まっています。

世界は以前よりよくなっている。人々は長生きし健康になり、昔支援を受けていた国の多くが今では自活している。それは喜ばしいことのはずだが、実際には非常に多くの人が「世界はわるくなるいっぽうだ」と認識していて、メリンダとわたしはショックを受けている。世界の貧困や疫病といった問題が解決できないという固定観念は、単に誤っているというだけでは済まない。そういう固定観念は有害である。だからわれわれは、取り組みの成果を遅らせるような誤解について解説することにした。次回、読者がこれらの神話にでくわしたとき、同じように解説できるように。


最初に解説される神話(誤解)は、「貧困国は、貧困から脱け出すことができない」というものです。

そこで紹介されている次の図を見ると、1960年から約50年の間に、たいへん多くの人が、貧困から抜け出し、中間層に移行したことが見て取れます。

povertycurve.jpg
※クリックで拡大します

大きくもりあがった1コブの山の面積を考えてみてください。1960年の2つに分かれた2コブの山の面積と比べると、はるかに面積が増えています。50年の間に、パイはとても大きくなりました。

ローマクラブが『成長の限界』を出したとき、こんな図を誰が予想し得たことでしょう?

でも、パイは、永遠に大きくなるのでしょうか?

物質であれば、限界があるでしょう。
一方、お金の量を表現しているのなら、数は無限ですから、無限に大きくなる可能性は理論的にはあるでしょう。

しかしいずれにせよ、人口は頭打ちになります。

スウェーデンの公衆衛生学者ハンス・ロスリングは、世界の女性が一生に産む子供の数は、50年前に5.5人だったが、いまでは2人になっていると言います。寿命が延びているため生存している人の数はまだ増え続けますが、産まれる子どもの数は減っている。そして2050年頃には90億~100億人になるが、そこで頭打ちになるというのです。

地球は100億の人間を養うことになるが、それ以上は増えない。
そしてそのとき、人々が十分に幸福に生きているためにはどうしたら良いのでしょうか。

ハンス・ロスリングは、大半の人が洗濯機を使える状態であってほしいと考えているようです。母親が洗濯機を使って時間ができると、子どもに本を読んでやることができる。母親自身も勉強できる。そうやって、教育レベルが向上します。

さて、上の図から、パイは実際にこれまで長期間にわたって大きくなってきていて、それとともに世界全体の貧困レベルの底上げがされてきたということはいえると思います。

それはそれとして、現在、国連の定義する極貧ラインにいる人々と、日本や米国などの先進国とは、貧困に対する人々の感覚は異なっているでしょう。日本は、自転車を手に入れるだけでは貧困から脱したとは言えない社会になっています。そうした貧困の定義は、別途考えることとして、ここからは日本の状況について考えたいと思います。
(なお、一つの手がかりとして次の記事は参考になりそうです:「貧困」を見つめるまなざし ~我々は何を貧しいとみなしているか

幸福はお金の量ではない、と、良く言われます。本当にそうでしょうか。

最近のアメリカの研究では、年収750万円を超えると、幸福度は上がらなくなるそうです。逆に言えば、750万円まではお金の量と幸福度は比例するということでしょう。(ただ日本ではアメリカと違って20年間デフレでしたから、アメリカの750万円は日本では600万円ぐらいかも知れませんね。)

また別の研究では、貧困状態にあるとき、人の脳はうまく働かず、近視眼的になり、目先のことにばかりとらわれてしまうとのことです。

これらのことを考え合わせると、人権や個人の尊厳を大切にし、すべての人に健康で文化的な生活を保障しようとする左派は、どのような政策を重視すべきでしょうか?

モノを浪費することを問題とするならば、たとえば、消費するモノを増やすのではなく、消費する情報やサービスを増やすことによって、お金を循環させ、より多くの人が働いてお金を得てそれをまた消費する、そういう循環を作り、途切れさせないことではないでしょうか。

お金の価値を軽んじたり、使うお金を減らそうとすることによっては、社会から貧困をなくせないどころか、ますます貧困は増えてしまいます。お金と幸福は関係ないといくら説いても、現実に貧困は生まれ、近視眼的になった人々が、かつてのドイツのように追い詰められて、戦争に向かってしまわないとも限りません。

左派が重視すべきことは、なによりもまず経済と雇用を健全な状態に保つことでしょう。お金の量が増えることによって経済活動が活性化するならば、ためらわずそうした金融政策を取るべきです。

そしてかつ、金持ちに余剰分をおさめてもらって社会へ再配分する制度の構築を進めるべきです。

話題になっている脱原発についてですが、わたしはもちろんできるだけ早い廃止を望みます。ここまで止めていられるならもう即刻廃止でもよいのではないかと思っています。すでにリスクが顕在化した巨大なレガシーシステムです。何がこのリスクを顕在化させたのか徹底的に追求し、同種のリスクを今後は防止できるように制度やプロセスを整備すべきでしょう。

左派は、経済と雇用を活性化する政策も、脱原発も、ともに主張すべきなんです。しかし、なんといっても優先順位は経済です。なぜならば明日の飯に不安があるとき、人は明後日に関する適切な判断はできなくなってしまうのです。

もうすぐ東京都知事選挙ということですが、脱原発をシングルイシューとして主張する細川&小泉コンビは残念なことになるでしょう。しかし左派はこれにめげず、今後数年間に必ず、経済と雇用と、すべての人の生活を守る再分配制度と、そして非合理的な国民不在の政策決定プロセスの排除とを同時に主張する政党を作り、次の大きな国の選挙を闘って欲しいと思います。

次の選挙に期待しています。
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アリス

Author:アリス
資本主義の国のアリス

リベラル&ソーシャル。
最近ケインジアン。

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