経済成長と再分配
よって、現状に対する最適解は「経済成長をさせながら、社会保障を用いて労働に就けない人に優先的に再分配する」ということなのだが、これを全く理解できない人が多いのが、今の日本のお寒い現状だ。「労働」に対する妄想が強すぎて、話にならない。
https://twitter.com/T_akagi/status/426914010412232704
現状に対する最適解は「経済成長をさせながら、社会保障を用いて労働に就けない人に優先的に再分配する」ということなのだ
この部分の主張には、わたしもまったく賛成です。
赤木さんといえば、「論座」2007年1月号に『「丸山真男をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争』という文章を書いて、大勢のサヨク論者から批判をくらった人。
当時の文章はこちらで公開されています。
「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。
けっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──
赤木氏は、高度経済成長からバブルにいたる富の蓄積によって、十分に既得権益層となっている高齢者や正社員を批判します。それは批判される側から見れば、ただの愚痴だといって非難することができるかもしれません。
オールド左翼たちが、どんな風に赤木氏に応答しているかは、『若者を見殺しにする国 (朝日文庫)』も合わせてぜひ読むべきでしょう。
鎌田慧「クビが飛んでも動いてみせる、それがフリーターに与えられた自由ではないですか」
佐高信「『何も持っていない』私というが、いのちは持っているのである」
鶴見俊輔「筆者は15歳のとき…なぜ、パソコンその他の情報技術を習熟させようと覚悟を決め、それに打ち込まなかったのか。そうしていれば10年後、25、26歳のときには、情報技術を自在に操ることができたでしょう。」
時代の幸運と自らの才能の幸運によって安定した地位を得た者たちが、どれほど自分たちを幸運と思わずに済んでいるかがよくわかります。
そして、一生安定した職を望めなさそうな若者が、経済成長が見込めないと思いこまされた挙句、どのぐらい閉塞感に苦しめられているか、オールド左翼側は想像すらできないようです。
これは、ソロスが「第一次世界大戦後のフランスのようだ」と批判しているメルケルの経済政策が、経済的に困窮している周辺国に振りまく閉塞感と同じものです。
赤木氏は『若者を見殺しにする国(朝日文庫)』の中で、こうした貧困層に対して社会はどうすべきかについて検討を加えています。経済理論に基づいた考察ではありませんが、金が貧困者に回ることがまず重要であること、十分な雇用が重要であることを主張します。
そして今日は、現状に対する最適解が「経済成長をさせながら、社会保障を用いて労働に就けない人に優先的に再分配する」だと言っているのです。
まったく、リフレ派と同じ主張ではありませんか。
経済学者ではないのだから、厳密に見ればとんちんかんなことも言っているのかも知れませんが、方向性としてはリフレ派と同じ方を向いているでしょう。
しかし、彼のような考え・立場の人々と、リフレ派が融合するには、わたしからみると、リフレ派には再分配への積極的なコミットメントが少なすぎるように思えます。
もちろんリフレと再分配は、違うものです。リフレを志向する人がすべて、再分配を志向するわけではない。
その上で、わたしはリフレと再分配をともに主張します。というか、再分配のためにこそ、リフレが必要だと思っています。すべての人に健康で文化的な暮らしが行き渡るためには、おカネが潤滑油のように社会を巡る必要があります。
とはいえ、いったいどんな具体的な政策があるのか、それをどう提案すべきなのか、わたしにはまだそこまで考えられていないのですが…
リフレ派の人たちが考えているものの中に、それなりに再分配に寄与するものがあります。
たとえば歳入庁の創設や、納税者番号制度は、公平な再分配制度の基礎として寄与するでしょう。
それでもまだまだ、再分配へのコミットメントは弱いように思えます。
たとえば、良くリフレ派に見られる言い方に「経済のパイを大きくすれば、弱者への配慮が自然となされる」というものがあります。そういった配慮は自然になされるものではないので、必要を感じる人が明示的に制度をつくっていかなければなりません。
ツイッターでねずみ王様がつぎのようにつぶやいていました。
福祉国家以前でも、労働不能な無能力者(=子供)であることが視覚的に明白であれば、救済の対象にはなりました。が、それを社会の構成員と呼べるかどうかが問題になります。
https://twitter.com/yeuxqui/status/425208721153593344
労働可能であるにもかかわらず労働していない者(=失業者)が、自分が無能で、半人前の人間でしかないかということを視覚的にアピールせずとも、社会保険の対象となるという第二次大戦後に成立したこの仕組みが、どれほど異様な変化だったかを、カステルは説得的に示していると思う。
https://twitter.com/yeuxqui/status/425211475813085184
社会がどのような対象を救済すべきか、概念は大きく変わってきています。いままでは努力や窮状を人に認められなければ救済されなかった。しだいにそうではなくなってきています。
救済対象を、過去の常識にとらわれず拡大して考えられる人が、明示的に制度をつくっていかなければ、格差の拡大による社会の不安定化や、もしくは将来的に起こる雇用の減少に対応できなくなるでしょう。
ですから、経済成長と再分配の議論で、再分配の話があまりされない場合に、特に左派よりの人が不安を感じるのは、極めて当たり前のことなのです。「まずは経済成長だ」という話はもっともではあるのですが、そちらが強調されることによって不安を感じる人を責めるわけにもいかないと思います。
今後、リフレ論と合わせて、再分配政策を具体的に強く主張する論者が、どんどん出てくるように願います。