スティグリッツ『不平等のコスト』、それと英国の左派経済学の不在を嘆くブログ
ジョセフ・E・スティグリッツ『世界の99%を貧困にする経済(原題は"THE PRICE OF INEQUALITY"(不平等のコスト))』を読んで、深く引き込まれるものがあったので、まずは少し紹介。
スティグリッツは徹底的に経済的不平等を攻撃している。彼の主張のいくつかは次のようにまとめられると思う。
- 現在のアメリカのような経済格差は行きすぎだ。格差を縮小し、公平な社会が実現するように、政府が役割を果たさねばならない。
- 完全雇用が回復され、維持されなければならない。
- 金融機関や独占的企業が政権と関わることによるレントシーキング(超過利潤の追求)を撲滅しなければならない。
- 富裕層にはより強い課税をかけ、貧困層には減税や給付することで格差をなくし、不足している需要を活発化させ、経済を活性化する。
- 教育や研究やインフラに十分に投資されなければならない。
- そのためには政府は負債を恐れず、十分に需要が起こるまで資金を供給する必要がある。(そうすれば税収が増え、いずれ負債もなくなる)インフレは引き締める必要がない。バブルはその原因によって対処が異なるのであり、全体的な金利で対応するものではない。
スティグリッツは「大きな不平等はそれほど悪いものではない、なぜならそういう大きな不平等のない世界で生きるよりも全員が豊かに暮らせるのだから」とほのめかす考え方に反論し、次のように言う。
しかし、この戦いの反対陣営は、対照的な信念を持つ。平等の価値を心から信じ、これまでの章で示してきたように、現在のアメリカにおける大きな不平等が社会をさらに不安定なものにし、生産性を低下させ、民主主義をむしばんでいると分析する。
知的な戦いは、キャピタルゲインに対する税金を引き上げるべきかどうかなどの特定の政策をめぐって繰り広げられることが多い。しかし、そういう論争の背後で、認識をめぐって、そして市場や国家や市民社会の役割のような重要な思想をめぐって、前述のような重要な戦いが繰り広げられているのだ。これはたんなる哲学的議論ではなく、そういうさまざまな機構の有用性についての認識を形成しようとする戦いなのだ。
スティグリッツの言う戦いとは、市場原理主義と、社会民主主義の戦いということもできそうだ。
一方の側に、市場はたいていの場合市場自身に任せたほうがうまくいき、市場の失敗のほとんどは実は政府の失敗なのだと信じている人々が立つ。もう一方の側には、市場はそれほど万能ではなく、政府には果たすべき重要な役割があると主張する人々が立つ。
このふたつの陣営が、現代の主要なイデオロギー闘争の争点を明確にしている。
この戦いは公共政策のあらゆる領域で続いている。
さて、この本が出版される10カ月ほど前に、イギリスの左派ブログでは、左派経済学における理論的支柱の不在を嘆く投稿がされていた。
Has the Left given up on Economics?(The Disorder of Things)
左派は経済学を諦めてしまったのだろうか?
先進的な左派の知識層の注意は(少なくとも英国では)、社会問題、人種問題、人権問題、アイデンティティ問題に振り向けられている。もちろん、すべては重要なことだ。だが、同じような熱意でもって経済問題が扱われていない。
批判ばかりで、構築がされていない。
近頃の左翼的学生は、カルチュラル・セオリー全盛時代に育っているから、経済研究の能力に不足している。
本当はもっと、統合的で、体系だった、ポスト資本主義の理論があってしかるべきだ、というのだ。
コメント欄では、「そもそも資本主義自体、十分に練られた理論によって出来上がったものではなく、いやもおうもなく目の前に突き付けられた現実の塊を観察することから理論づけられたものだ(大意)」というリアリスティックな意見もあり、また、「ネオリベラリズムは、まさに、経済の理想的姿を思い描きゴールを見据えながら、一団の専門家たちが一丸となって押し進め、実現した実例」と、ある種、畏敬の念を持って述べているようなコメントもある。後者はむろん、ネオリベを賞賛しているわけではない。だが強い信念をもって、ある社会に、ある経済の姿を実現した、そのパワーと協力体制が、いまの左派で実現することはできないのかと、もどかしい思いがあるようである。
わたしはこの「資本主義はいやもおうもなく目の前に突き付けられた現実の塊を観察して理論づけたもの」というコメントが気に入っている。
そして、これを抜本的にひっくり返すような革命的な美しく理想的な理論などというものはなく、われわれは今後も長い将来にわたって、この現実の塊ととっくみあい、部分的になおしなおししながら付き合っていくほかはないのではないか、と思っている。
しかし社会全体にじわじわと浸透している、あるいは、ある時突然に起こる、といったたぐいの変革は、確かに起こりつつある、とも感じる。
特に、経済に関係することでいえば、金本位制から管理通貨制度へ、そして情報通信における技術革命、この2つが大きいのではないだろうか。
金本位制を離れ、自国通貨で経済をまかなうことができるようになった今、われわれの国家は、完全雇用状態になるまで通貨を供給することができる。十分に需要が生み出されるまで、金融緩和することができるのだ。
貧困者が貧困から脱するまでは、少なくともお金を供給すればいい。
といっても、今のようなやり方では、格差拡大の方にむしろお金が費やされてしまうだろう。貧困層にもきちんとお金が回る形で、どうやってお金の供給を増やしていくかが大きな課題である。これは、アメリカも日本も同じである。
この課題は、安倍自民政権では達成しえないだろう。
マクロ経済を理解し、完全雇用と経済成長の実現と、格差縮小をめざす強力な左派の政治勢力が必要とされている。
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