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Summers Over ~ ウォール街の夏は過ぎゆく

経済学はどうしたわけか、しばしばいろんな人たちからdisられてしまいます。「経済学は人間が金儲けのために動けば全部おkという論理だてになっていて、金儲けのためにだけ使われる学問」というような感じで。

最近では「欲望のままに金儲けにひた走る時代はオワタ!経済学はオワコン!」と叫ぶ人まで出てきています。経済学の人たちは可哀想に、「そもそも経済学が世間に受け入れられて、始まった状態になったことなどあっただろうか」と途方にくれています。

ところで、最近興味を惹かれた記事がありまして。

ひと言でいうと「経済格差は、社会の生産性を阻害する」というような話です。

「経済格差が良くないって、知ってた!知ってたよ!」

とまぁ、もちろん誰でも思うわけですが。ところが、なんでそれが良くないのかっていうのは、実はちゃんと考えようとすると良くわからない。「人を殺してはいけない」と同じような話です。考えれば考えるほど、どうして良くないのかがわからなくなります。

もしもですよ、いちばん稼ぎの少ない人が、(労働できる状態の場合)一日7時間労働して、通勤15分で帰宅できて、家もあって、十分食べられるだけお金がもらえて、本も読めるし、ある程度娯楽も楽しめるとします。
そんな社会で、いちばん稼ぐ人との差が、1000倍だったからといって何か問題でも?

それでは格差はあっても問題ないんでしょうか。そんなことを突き詰めて考えていくのも経済学のお仕事のようです。

この記事(Inequality – It’s Bad…And It’s About to Get Way Worse)では、格差が社会に及ぼす悪影響について、手がかりとなりそうな研究が紹介されています。

記事中に紹介されている研究(“The Pay of Corporate Executives and Financial Professionals as Evidence of Rents in Top 1 Percent Incomes”)によると、次のことがわかったといいます。

巨大で複雑化した金融機関は社会に貢献するどころか、それらのリスキーな振舞いによって、結局のところ公的資金によってそれらを救済するという手段しか、社会が選択できなくなってしまう。

こうした一種の「破綻保険」を、巨大すぎてつぶせないということでもって、金融機関は利用してきたわけで、それがまた彼らの無謀な行為を増長させてきた。さらに米国の政治の風景までが塗り替えられてきた。金融セクターの巨大化と、規制緩和や法制度の改変は機を同じくしている。それがもたらした種々の結果のうち、どれ一つとして消費者利益となったものは見受けられない。


金融機関がこれほど巨大化し、企業トップなど金持ちや金融屋が巨額を儲けられたのは、レント・シーキングによるものだ、とも書いてあります。金儲けに都合のいいように、議員を動かし制度を変えていくわけです。

ちょっと話がそれますが、昨日、ラリー・サマーズさんが次期FRB議長の候補を辞退しましたね。サマーズは1990年代に金融規制緩和に積極的だった人物。そんなサマーズにFRB議長を任せられるかと、米国リベラル界から猛烈な反対運動が起きていたところです。

関連記事:Summers Over
これ、タイトルがふるっていますねぇ。もちろん、Summer is Overと掛けているんですよね。サマーズの時代が過ぎ去ろうとしている…。サマーズは、金融セクターの春の象徴みたいな存在。そういえば、リーマン・ブラザーズがチャプター・イレブンの適用を申請したのは5年前の2008年9月15日…サマーズさん、わざとですか?

ここでもう一つ、気になる記事があります。新・新左派の台頭
アメリカでは、政治的には、長い事レーガノミクスとクリントニズムの支配下にあった。オバマもその影響下にある、と書かれています。だからオバマはウォールストリートの申し子であるサマーズを経済担当として重用した。ところが、より若い世代は、格差社会に飽き飽きしている。いま米国社会は、クリントニズム(小さな政府、市場任せ)とは正反対の、大きな政府を欲し始めているとのことです。(こちらの記事はもっと興味深い点がたくさんあるので、別の機会に詳しく紹介します。)


さて格差の話題に戻ると、別の研究(“Income Inequality, Equality of Opportunity, and Intergenerational Mobility”)では、親の収入と子の収入との関連が調べられ、多くの場合、親の所得の高低と、子の所得には強い関連があるとのことです。なおかつ、その所得の高低は、親の持つ社会的なコネクションによって固定化されているのだそうです。つまり、子の能力によらず、コネで良い職につける、というわけです。

そのような社会では、ある分野で高い能力を持つ人も、適切な教育が受けられなかったり、ふさわしい職につけないまま、能力を発揮できずに一生を終えることになります。かくして新しい技術やサービスの発展は停滞し、生産性の向上も見込めなくなります。

そして、貧しい人がますます増え、不満が蓄積され、階級間の争いが起こり、街がスラム化するなど、結局、社会全体が不幸になると考えられます。

米国社会ではよく「機会の平等」と言われ、結果の平等よりも尊重されます。ところが、結果が平等である、という状態こそが、機会の平等を生み出すことが、研究で明らかになりつつあるそうです。

スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、フィンランド、こうした格差の少ない社会であれば、親の経済的状況に関わらず、能力に応じて収入を得ることができる。それでも全体としてみると、格差の少ない社会である、そんな社会は実は、新しい技術やサービスを最大限効率的に産み出すことができる。環境と共生する技術も、あらゆる人の人権を最大限に尊重するための新たな制度を作り出すことも、こうした社会だから実現しやすいと考えられます。

日本をそんな社会にするために、金融制度をどんな風に変えていったらいいのでしょうか。経済学しろうとの一般人には難しいです…。

市民目線の金融の専門家が欲しいですが。

原発における小出さんみたいな?えっ?
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テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済

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