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(メモ)参加民主主義をうたう人の考え方の傾向

参加型民主主義をうたう某所から。

資本主義における「政府」の役割って、元来はファンド=大きな貯金箱です。現在の日本政府は、「所得の再分配機能として公共の利益を追求する仕組み」がいつの間にか肥大化してきたと言えます。

公的債務の増加についても、再分配を大きく超えて「集まってないのに使う」ことを続けた結果です。さて、これから債務削減に取り組むとして、集まった「所得の合計の一部=税金」以上に「分配」を求めないことが国民に求められます。

明らかに減る分配の原資をどこに振り向けるか、政治の素養はますます重要です。

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(メモ)「社会的」とは何なのか

@theophil21さんのつぶやき

socialとは 日本語では、「社会的」と訳されるこの単語の意味は、実際のところ何なのか。ヨーロッパの各国では、まだまだ「社会党」や「社会民主党」が強いが、なぜなのか。おそらく、日本では「個より社会が大切ということではないか」と思っている人も多いだろうが、そいう意味ではない。

たとえばドイツでは、日本の就業規則記載事項は、「社会的事項」として労使の共同決定によることとなっているが、「労働時間の構成」や「賃金の支払い方」がなぜ「社会的」なのか。また他方では、事業所で支払われる付加給付を「社会的給付」というがなぜなのか。

socialという概念を理解できるかどうかがヨーロッパ社会を理解するための試金石だと力説しておられたのは、東大でフランス法を講じられていた故山口俊夫先生だが、欧州におけるsocialの意義の大きさを知ると、確かにそうだとつくづく思う。

一方では、弱い立場にある者に手を差し伸べるという趣旨があり、他方では、集団に適用される規範という意味がある。この両者を包括する理念は何か。それは「共同体の維持」ということである。もちろん、個人の自由が重視されないという意味ではない。

しかし、個人の自由の発揮は共同体の維持と調和しなければならないと、大陸ヨーロッパの多くの国は考えている。つまり、共同体の構成メンバーは連帯して共通の規範を守るべきであり、メンバーの中に苦境に立たされる者がいれば協力して支えなければならない。

思い切って図式化すれば、自由民主主義と社会民主主義とは力点の置きどころを異にするのであり、「個人の自由を侵害しない範囲で弱い者も助ける」のか、「弱い立場の者が切り捨てられない範囲で個人の自由が発揮されるべき」なのかの相違ということも可能であろう。

「社会的」という漠然とした概念には、このように積極的な理念がこめられている。かつてEUが発足したとき、スローガンの一つは「ソーシャル・ヨーロッパ」であった。それが欧州の理念的基盤であることは間違いない。日本はそこから何を学べるのか。丁寧な検討が必要であろう。



西村周三『医療と福祉の経済システム』より(太字はブログ管理人による)

このような観点から、日本において「介護保障」を充実することが、経済発展につながる可能性を具体的な数値に基づいた問題提起をしたのが、宇野裕「老人介護問題はなぜ社会的に解決しなければならないか」(『週刊社会保障』1993年9月13日号―10月25日号)である。宇野氏は、家族が大部分を担っている老人介護を社会化すれば、それが有効需要を喚起し、また家族介護よりも社会的介護の方が生産性が高いことに注目し、その経済波及効果が想像以上に大きいものであることを問題提起した。また同じ宇野氏は、「介護の社会化は日本経済を救う」(『社会保険旬報』1995年11月11日号―12月1日号)と題する論文で、他の公共事業における波及効果より、介護・福祉部門の拡大のそれの方が大きいことを産業連関表を用いて明らかにしている。
(この後に、西村氏による多少批判的コメントが続くがとりあえず略)

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Author:アリス
資本主義の国のアリス

リベラル&ソーシャル。
最近ケインジアン。

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