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2chのステータスのようなもの

2chのまとめサイトが、釣り目的の職人の創作であって、完全に食い物にされているという話。

a.k.a. Shirae @ttt_cellule
2chまとめブログは今やこんなことになっていたのか…
anond.hatelabo.jp/20130705113110 via Echofon
2013.07.06 12:07

【ツイッターURL】
http://twitter.com/ttt_cellule/status/353349501425168384

このツイートをきっかけに、とある鍵アカさんがこんなことをつぶやいていました。

知り合いにも何人か、2chまとめサイト(例えば「痛いニュース」や「保守速報」、あるいは「ハム速」など)のURLを嬉々として貼っている人たちがいるが、そういったサイトを情報源や娯楽として利用するのは本当に恥ずべきことであると思う。

なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、2chで話題になったことをまとめただけのものではなく、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、ごく少数の思考的偏向者によって管理されているからである。参照。 anond.hatelabo.jp/20130705113110

多くの「2chまとめサイト」は嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供する。愚かしいことだが、差別はもっとも簡単に娯楽になるのである。しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで餌に群がる昆虫のようではないか? via web

若い世代の多くが、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とは異なる”自分で手に入れた真実の情報”として受け取る。しかしその情報はあるごく少数の思考的偏向者によって管理されており、彼らは若年世代を畜群のように、昆虫のように飼いならしているのである。

今の20代の、ごく普通の人物と話をしてみるとわかるが、彼らはごく普通に「2chまとめサイト」を読んで楽しみ、とてもナチュラルに排外主義的な差別発言をする。この調子では一億総在特会化の未来というのもそう遠くない。


まぁ、ここまでだったらたぶんそれほど興味をひかれなかったと思うのですが…

私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思うのだが、最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな、と思ったことをよく覚えている。

筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがある。しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである。作家自身がそう語っている。(ここに『笑犬樓よりの眺望』へのリンクあり※引用者注)

初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあった(はずだ)。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単純な娯楽として消費されるようにパッケージ化するものである。

「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」についてはここに若干の引用がありました。
http://sound.jp/kita-g/black.htm


これもまぁ、完全に同意というわけではないのですが、2chのある種のステータスのようなものは、確かにあったのだなぁ、という郷愁を感じたので引用してみました。



笑犬樓よりの眺望笑犬樓よりの眺望
(1996/07)
筒井 康隆

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クールジャパン戦略(田中先生とねずみ王様のつぶやき)

ちょっと気になったのでメモ。
(田中秀臣先生のさらなる執筆を待ちながら)


【追記】田中先生、さすが素早い。翌日にはもうブログにエントリを作られていました。
[経済]クールジャパン戦略についてのメモ
興味深い図解もありますので、田中先生発言に関してはまずこちら↑をご参照ください。



最初のツイートはこちら http://twitter.com/hidetomitanaka/status/353292238031294465

ちょっと仕事なのでクール・ジャパン政策関連の資料についてつぶやき連続技。「面影日本」
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/OmokageNihon.pdf 
とりあえず最近の「逝きし日本の面影」シンドロームと松岡正剛氏の知の編集工学(よく知らんけどw)の合わせ技パンフレット。実体的中味ゼロ。

クールジャパン戦略の24年度成果集。
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/HPkaigai130603.pdf
世界各国いってイベントしました。終わり。

クールジャパン戦略最初の文書
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/kisoshiryo.pdf
 よくある「産業構造の転換」論としてのクールジャパン戦略。世界の文化産業のシェア1割ゲットが「戦略目標」。なんの実体もなし。典型的なクローズド・レジーム。

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/kisoshiryo.pdf

で政府出資が絡んでて天下りに登場してきているのが、(株)産業革新機構 この文書における唯一つのコンテンツ仲介として中核に位置づけ(なにげにw)。機構には財政投融資特別会計から2660億円出資
http://www.incj.co.jp/about/shareholders.html

産業革新機構の組織概要。
http://www.incj.co.jp/about/overview.html
政府保証枠は1兆円超。クールジャパン戦略(2012年1月の最初の文書)では、典型的なクローズド・レジームの中での中核組織的位置づけ、補助金、産業政策、特定企業・産業の利害重視、裁量的など。

クールジャパン戦略(2014年7月文書)
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/120703_cool_japan_strategy_2.pdf 
海外コンテンツ戦略の中核としての産業革新機構による活動の重視。グロザス、出版デジタル機構、ANEWなど同機構の出資会社の活動を紹介。同機構の出資の大半は事実上の「税金」

グロザス、出版デジタル機構、ANEWを含めて、産業革新機構と、経済産業省の「天下り」チェックもあとでやること。

産業革新機構の最新事業報告をみると創立以来毎年の純損失計上(昨年度は100億円近く)。理由は簡単にいうと投資先の失敗のつけ。
http://www.incj.co.jp/PDF/report130701_01.pdf

新産業革新機構の融資先(24年度60億円)で、先のクールジャパン戦略文書その2でもとりあげられているANEWのホームページ http://www.an-ew.com/ja/ ただし事業内容、コラボ―レーション企業などのページは空白。ほとんど情報らしいものがわからない。

産業革新機構と出版社との共同出資の企業、出版デジタル機構http://www.pubridge.jp/ これもクールジャパン戦略での核になる企業として上からいきなり位置づけ 笑。

そしてクールジャパン戦略文書にでてくる核になる企業三社目(産業革新機構を入れると四社目)のグロザス
http://www.gloczus.com/ これは役員をみると社外取締役は産業革新機構、ニフティから出ている。社長などの前歴は他の産業革新機構なども含めてこれから時間みつけて調査

グロザス、出版デジタル機構(これが凸版印刷の子会社を買収したことも要チェック)、anewなど少なくともホームページ情報からは経営実態ぽいものがよくわからない。とりあえずホームページ情報からは僕にはよくわからない企業群が、日本のクールジャパン戦略の中核でいきなり文書に登場

このクールジャパン戦略の基本文書(2012年7月)
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/120703_cool_japan_strategy_2.pdf
の6ページにいきなり、ANEW、出版デジタル機構、グロザスがクールジャパン戦略の中核企業として登場。先ほど書いたように僕には実体がよくつかめない。

政府経由のお金の流れ(民間出資は無視してるので注意)でまとめると、財政投融資特別会計⇒産業革新機構⇒(ANEW、グロサス、出版デジタル機構)という感じ。これが日本のクールジャパン戦略お金の流れ編の一部。

野村総研に丸投げして作成させた知的財産権のレポート 
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/fy23_creative_report_r.pdf 
個人的にはクールジャパン戦略の新機軸(笑)である食文化関連が注目に値する。なぜなら僕個人がいま来年にむけて刊行しようとしてるのがそのテーマだからだ。食文化経済学w

産業革新機構は別にクールジャパンだけをやっているわけじゃない、どちらかというとそれは融資対象としては小粒。問題なのは、民間企業を偽装した天下り企業群へのだだもれ融資だという疑いがあること。政府は特定産業、企業ベンチャーという賭け事をやる必要はない。この思考のラインから見ていくかな



一部関連するねずみ王様のツイート

最初のツイートはこちら http://twitter.com/yeuxqui/status/353315641454899201

感情を捨て冷静に議論すると、完全に腐ってね? これは小さい政府を推進するために、わざと無意味な支出をこれ見よがしにやっているのではないだろうか(リンクpdf) 。
http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/creative/OmokageNihon.pdf

(松岡正剛って……。そんな……。)

おれのかーちゃんより年上なんだな。

この国は、あっちでもこっちでも、むかしの名前で出すぎだよ。構造改革とかいいながらこれはないだろ。

で、東浩紀とかが、40年後ぐらいにこういう仕事するとか、この国って、そういう未来なわけ?

(若い頃にあこがれていた有名人を、中年過ぎてから、つい起用してしまうという作法なのかな。80年からこのかたあっち方面は何も変わっていない感じがしてしまう。しかも全体としては、「現代思想」から「思想」と「政治」みたいな要素がマイナスされてしまっている。)

若い世代から中年前半にとっては良くも悪くも「政治」(や「マネー」)が必要な要素になっているから、よけいとひどくobsolete(外国語による婉曲話法)な感じになってしまう。

クール・ジャパンとかがしんどいのは、誰も誉めてくれないので自分で誉めますみたいな貧相さがしんどいのです。

ほんとにコーゾーカイカクしたければ、まずは独禁法を使って、巨大な広告代理店をふじこ。

世の中で一番カッコ悪いのが「アート」ってどういう社会だよ。プンスカ!


【読書感想文】稲葉振一郎『経済学という教養』

稲葉振一郎さんの『経済学という教養』は示唆に富んだ本で、あちこち興味深いけれど、序盤で特に面白いところは、古典的ミクロ経済学→実物的ケインジアン→貨幣的ケインジアンと経済学が(経済学者が?)進化(変化?)していく場面。

実物的ケインジアンから貨幣的ケインジアンの説明に移る時に、「不確実性」というパラメーターが加わるのだけど、そのとたんに「そりゃそうだよな!」とひざを打つような、「天啓がひらめいた」みたいな(大げさ)、そんな気分になる。

だが、これに対して別の考え方もあるだろう。そもそも「流動性選好」とはいったい何なのか、人々が積極的に貨幣そのもの、具体的モノ・サービスではなく抽象的な購買力、「流動性」そのものを欲する理由とは何なのか?この問いに対する一つの有力な回答は、「不確実性から身を守るため」である。

不況下で、みんなが一所懸命節約して、おカネを貯めているのはなぜか?失業の不安や老後の不安があるからだ。もしものときに備えておくだめだ。


だからこの不安を減じれば、みんなお金を消費したり、将来の投資に回すようになるはず。

不安を減じるには、職が将来にわたってなくならないこと、もしくは生活が保障されることが重要で、社会に十分な雇用をつくり出し、社会保障を充実させるためには、お金の量が増えていくという実感(=期待)が存在することが重要だという話につながっていくんだと思う(つまり、リフレーション政策)。

この序盤でまず語られているのは社会全体で経済が不調におちいっているときに、「個人の努力」「個々のブレイクスルーによるイノベーション」「個別の制度改革」で成し得ることには限界があるどころか、合成の誤謬によって、全体としてはまったくネガティブなインパクトしかもたらさないということ。

古典的なミクロ経済学や実物的ケインジアンは、人間が合理的で、皆が努力すれば市場は自然に均衡し、人は努力の分だけ報われると夢想している。でも実際にはそうではなく、人は不合理なものだ。もうちょっと正確にいうと、人はその人の分かり得る範囲で合理的なんだけど、結果的に不合理になったり、他人との不整合が起きてしまう。その齟齬は、個人の努力などでは決して完全に埋めることはできない。そういう見方の方が、現実に即しているとわたしは思う。

(ニュー・ケインジアンI・IIは)現実の人間や企業がそこまで賢くないことは、彼らは承知しているからだ。しかし彼らの頭の片隅には、現実の人間や企業はそこに決して到達できないが、しかし理論的には確かに存在する完璧な合理性という理想がなお巣くっている。
だがニューケインジアンIIIの眼から見れば、事態は相当に違ってくる。彼らは理論的にさえ完全な合理性というものを想定しない。逆に言えば、人はすべてほどほどに非合理的、つまりは、ほどほどに合理的である。目先の株価・地価の動向に一喜一憂して、短期的なキャピタル・ゲインを求めて右往左往、という振舞いも、不確実な世の中に放り出された無知なる者としては十分に合理的な行動だし、それ以上のことを期待することはそもそもできない、というわけだ。


<おまけ>触発されて描いてみたポンチ絵(経済学素人で、まだよくわかってないのでかなり適当です。リバイス予定)

reflation_20130701_1.jpg

reflation_20130701_2.jpg



経済学という教養 (ちくま文庫)経済学という教養 (ちくま文庫)
(2008/07/09)
稲葉 振一郎

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Author:アリス
資本主義の国のアリス

リベラル&ソーシャル。
最近ケインジアン。

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