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セッティングされた撮影会(ねずみ王様のつぶやき)

2013.06.29 09:42 に始まる@yeuxqui氏のつぶやき

セッティングされた撮影会 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36272?page=3

こういう記事がもう少し出るようになってジャーナリズムの水準が少しづつでも向上するとよいなあ。

けれど、フリーランスの元記者だというあたりは結局は別の物語の中に回収されてしまいそうな気もする。

組織の外/内を隔てる壁は大きく、沈みそうな船のなかでは、豪華な宴席が開かれ、まるで危機感は感じられないというのはよくある話。

冤罪事件が出るたびにメディアはそれを批判するが、警察や検察からすると、日々つぎつぎと発生するありふれた「大量」の事件を、いつものように、あらかじめ作られたストーリーの枠組みの中に「自白」を挿入してゆく悪意なき作業の結果であるのだろう。

そしてそれは新聞やテレビのストレートニュースとなんの違いもなく、そのことは、「識者」のインタビューを、あらかじめ作られた箱の中に無理矢理押し込めるという記事の作り方への不平が、「識者」からたびたび漏れることからも分かる。

たとえば自白冤罪事件と、自分たちの日々のニュースや記事の作り方が、まるで同じ種類のものかもしれないという想像を、ただの一度もしたことのない記者がいるとすれば、やはりそれは想像力の欠如と言わざるをえないだろう。

日々のルーティンワークとして大量生産され、流れ作業でこなされる安っぽい正義感が、ある日、致命的な失敗となる。そのヒステリックな攻撃性ゆえに、医療現場や警察検察は、メディアに耳を傾けざるをえないが、しかしメディアの側は、何かに耳を傾ける切実な理由はないという非対称的な関係がある。

つまりvoice(批判) と exit (立ち去り)という有名なふたつの批判のうち、メディアにたいしては、後者の立ち去りしか有効に機能しないという可能性が高い。

批判に対してはどうやら冷笑でもって報いるというこれもまたひとつの処理作業が用意されているように見えるからだ。さっきの特集記事もおそらくは機能しない可能性が高い。


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社会的企業

「社会的企業研究会」なるものに行ってみた。
市民セクターの活動を理論的に支えるような何か、聞けるのかと思ったんだけど…
http://social-enterprisejp.jimdo.com

イギリスの公的資金が減って、サードセクターの従業員が大幅減、市民組織は大規模なところは生き残り、有給職員を抱えてなかったりマイナーな宗教だったりで小さいところも生き延びる。だけど多少の有給を抱えた中ぐらいの組織は潰れていく。

政府は社会的企業という言葉を政策的に使って、公的資金から民間資金への移動を促している。

非営利を評価する指標としてSROIが流行っているが、たいへん評判が悪い。チョコっと数字出すだけで高額の費用を払うことになる。定量的な評価手法にも批判が大きい。


社会的企業が新たな解である、という主張はなく、むしろ、こんなんでうまくいくのか、という悩みが目立ったような印象を持った。

何かこう、撤退戦をやってるような雰囲気…

非常に単純に考えると、撤退戦になっているのは公的資金が干上がっているせいだ。公的資金がもう一度流れるために、経済成長を促せばいい。しかし経済成長しないで何とかしようとしてデッドロックになっているのでは…

リフレに引き寄せて考え過ぎだろうか?

しかし、寄付金もボランティア活動の労働力も、結局は企業の経済活動が原資になっている。

そこから考えられることは、全体として健全な経済活動が行われなければ、市民活動も活発になり得ない、ということではないだろうか?



※7月1日に田中秀臣さんが、同様の論点を含むエントリを上げていらっしゃいました。田中さんの方は(当然ながら)より考察が深くかつ広く、また参考書などの情報もありますのでぜひご参照ください。
Economics Lovers Live ReF/[話題]内田樹他『脱グローバル論』


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