ynabe先生のニセ科学批判批判

わたしはあまりニセ科学批判が好きではありません。しかしニセ科学批判批判は常にばかばかしい展開をともなうので、ふだんはあまり公言しないのですが、今日のynabe先生のツイートが、ニセ科学批判に対する気持ちをだいたい代弁してくれていたので、書いておこうと思います。

行動主義の心理学者から見れば世の中は科学者も一般人も同様に非科学的な信念に基づいて生きているものに見える。しかしそれは言っても詮無きことである。
https://twitter.com/ynabe39/status/449681165046149120

ニセ科学だから悪いんじゃなくてそれで人を騙したり傷つけたり人の商売を邪魔したりするから悪いんで、悪いことは原則的に結果の善悪で裁かれるべき。
https://twitter.com/ynabe39/status/449678876847779841

「科学的でない」という批判のしかたはなんとなく価値判断から独立で客観的なように見えるから多用されるのだと思うけど、そもそも何に対して「科学的でない」という批判をするかという選択は価値判断そのものだと思う。
https://twitter.com/ynabe39/status/449679655675506688

血液型性格判断を非科学的と批判するなら「自分の行動は自分の意思で決定している」というもっと重大で広く共有されている非科学的信念をなぜ批判しないのか(行動主義心理学者)。
https://twitter.com/ynabe39/status/449681165046149120


さすがynabe先生という感じでうまく書かれていると思うのですが、論点自体は既出のものなので、ニセ科学批判系の人がこれで納得するとはぜんぜん思えません。

結局、この辺を「まったくその通り」と思うか、さらにこれに反発を感じるかは、人の価値観や、感性によるものですので、丁寧に議論すれば、有用な結果が…などと期待できるものでもないのです。

この辺で納得できない人は、百万言を費やしても納得されないと思うので、議論はしないのが吉であります。


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テーマ:雑記 - ジャンル:日記

非定型で非効率な業務に投入される派遣

定型業務的な事務仕事というと、たいてい派遣で、時給で、もちろん賞与などはなく、残業も大してないといったイメージだ。

定型業務というからには、正社員がわざわざ時間を取ってやるのが惜しいような単純労働のイメージがある。えんえんとハンコをついたり、コピー取りだの、紙の書類のファイリングだのといったものだ。

しかし、私は思うのだが、本当に定型的で効率的な状態になっていたら、むしろ派遣でなく社員でこなせるのである。システムで自動入力できるところは自動で入り、下調べ的な突合せも自動的に行われて、最後に人の判断が必要なものだけが毎日レポートで上がってくるようになっているだろう。

いまどき、事務仕事的な派遣が投入される業務は、十分にIT化されていない、どうしても人間が携わらなければならないたぐいのものだ。

会社としてあんまりやりたがらない、気合いを入れてIT投資できない分野に多いだろう。

そういう仕事では、たいてい、人が目で見てカクニンするポイントがとても多くなっている。

人が目で見てカクニンするポイントが多ければ多いほど、また、人が手で情報を入力する回数が多ければ多いほど、間違う可能性は高くなる。

私は派遣仕事を始めた頃に何度か「早くやらなくていい。ゆっくり時間がかかっても間違えないことが重要」と言われたが、結局、プロセスとして間違えるポイントが少なければ、早く間違えずにできるし、間違えるポイントが多いなら、どんなにゆっくりやっても間違える。

仕組みとして、間違えるポイントをいかになくすかが、ミスに対する最大の防御であり、それをやらない限り、いかに人間がゆっくりカクニンしても、ミスは起こるものだ。

だから早くやるから間違える、ゆっくりやれば間違えない、といった話ではないのだ。

OA化によって単純作業がなくなってきたことを批判する人は多いが、私は単純ミスを起こすような仕事はなくなる方が良いと思っている。

企業がきちんとIT投資をして、人間がバカバカしいミスで非難されることがなくなり、そんな非効率的な業務に携わる必要がなくなり、そのかわりにもっと満足感の大きい仕事が増えると良いと思う。

分業と残業時間の関係

ITProに最近掲載された「日本だけ!「SIガラパゴス」に明日はあるか」を読み、興味を惹かれた一節があった。

SIガラパゴスにとって、最初の危機は業務パッケージという名の外来種の侵入である。中でもERPは最強の種族。SIerは生業の全てを奪われる恐れがあった。ところが、SIerはカスタマイズというERPへの寄生手段を見つける。しかも寄生してしまえば、ERPが脱皮(バージョンアップ)するたびに、アプリケーション保守という新たな生業が生まれる


これを見て、ふと「よくわからん。欧米も同じじゃないの?」とツイッターでつぶやいたら、フォロワーさんから「あまりカスタマイズせずに使うんです。くそほど使いにくいですがね。強引に社内を説き伏せます」というリプをいただいた。

また、別の方から、「欧米の企業会計は一程度統一されていて、モデル化された経理・財政管理のシステムにマッチするんですよ。日本の場合、商取引の方法論や下請け構造の違いなどもあってグローバルスタンダードにマッチしない法制度が存在しERPでは不足」というリプもいただいた。

私がいま派遣されている会社では、数年前からERPを入れているが極めて不評で、MSアクセスで別のシステムを作ってしまった※。何しろERPはアクセス権限の設定がおそろしくキメ細かくて、不自由だったし、出力できる情報もひどく限定されていて、使えなかったという。
※ERPと業務システムが別につくられることは多いので、これはこれでふつうな気もするのだが、部署の人がERPに接続された別の不自由な業務システムと混同しているかもしれない。

それで思い出したのは、アメリカで開発された営業管理システムセールスフォースで、前にいた職場で研修に行ったが、データに対するアクセス権限は非常にきめ細かに設定できる。そして組織の分け方と、アクセス権限の設定を一致させて使うのが基本のようだった(もちろん縦断する設定もできるのだが)。

こうしたことは、どうも日本企業の「分業下手」と通じているような気がしてならないのだ。

もやもやとそんなことを頭の隅に置いていたが、金子良事さんの『日本の賃金を歴史から考える』にまたヒントとなることが書かれていた。

20世紀初期にアメリカで発達した労働の科学的管理法は、作業を機能別に細分化して、それぞれのコストや時間や生産性を科学的に管理するというものだった。そして作業を計画・指示するスタッフ部門と、実際に作業するライン部門を厳密に分ける制度ということだ。

それを読んで思ったことは、日本でもそれは導入されたのだけど、欧米ほど、人の考え方としては、ついに定着しなかったのではないだろうか。

私の今の派遣先の部署では、業務量が多いので人を増やすということになったが、横割りにではなく縦割りに分割されようとしている。1から10までの流れを全部わかる人を増やしていこうというのだ。これだとスケールしないし、アクセス権限に制約をかけることも難しくなる。たとえば、物流の注文処理と運賃処理を別々の人がやるなら、運賃処理する人が発注情報を見なくて良いが、一人が全部の機能に携わる場合、すべての情報にアクセスできなければならない。

また、欧米の科学的管理手法がめざしたように、ライン部門と、それを管理したり、業務を企画するスタッフ部門が分かれている場合、ラインの従業者は自分の仕事が終われば帰れる。全体にどこまで進捗しているかを把握する必要はないのだ。しかし全部を見なければならないとなると、話は別になる。

前の職場でもそうで、10人ぐらいの職場だったが、そのすべての人が、他の全員が何をやっているか把握して、いざというときはカバーできるようにしようとしていた。だから何というか、感覚的には、本来すべき業務量の1.5倍以上のボリュームがあったような気がする。

こういう仕事の仕方は、良い面もあると思うのだが、少なくとも残業について言えば、長時間化させている張本人と考えられるのではないだろうか。また、「休めない(有給休暇の取得率が悪い)」状況をつくりだしているのも間違いないと思う。
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