(拙訳)長年無視されてきた経済理論が見直されている

2016年3月14日づけで、Bloomberg Businessサイトに掲載された記事を拙訳。

長年無視されてきた経済理論が見直されている

伝統的信念が焚火に投げ込まれる大統領選の時期にも、あるタブーが生き残っている。国家債務が危険だという信仰だ。

反体制派の経済学者たちが、この信仰をも焚火に投げ込もうとしている。

いまこそそれにふさわしい時期だ。また、これは米国に限った話というわけでもない。マイナス金利や、新規発行貨幣を直接消費者に届けるヘリコプターマネーなど、中央銀行は、何かしら役に立つものが残っていないかと、道具箱をのぞき込んでいる。中銀のあらゆる工夫にも関わらず、先進国の経済はなかなか回復していない。

政府がリリーフに立てという声が高まっている。多くのエコノミストや金融のトップがその声に合流しはじめた。世界最大のヘッジファンド、ブリッジウォーターのトップであるレイ・ダリオ、そしてジャヌス・キャピタルのビル・グロスは、政策が曲がり角に来ており、より大きな債務に頼るべきだという。

「投資家かいわいでさえ、金融政策は一種のタマ切れと認識されている」と、NYのスタンダード・チャータード銀行のエコノミスト、トーマス・コスタグは話した。「いまや財政政策が焦点になっている」

独自通貨

現代貨幣理論(MMT)からすれば、最初からそうすべきだった、というところだ。独自通貨を持つ国家の政府支出について、非伝統的な意見を持ち、経済思想の片隅にいた、20年以上前からのそれなりに古い理論がいま、見直されてきている。

MMT理論家によると、そうした国家は財政危機のリスクを持たない。債務はドルや円になるだろうが、ドルも円も、自分たちで独自に作り出すことができる。つまり、債務に見合った金を作れる。だから、徴税も、国債発行すら必要ない。

これによって長期的にどうなるかということを、多くのエコノミストは懸念している。

「自分が債務を消費することについては何の問題もない」と、ソシエテ・ジェネラルの主任エコノミストであるアネタ・マルコウスカはいう。「しかし、政府が無限に金を刷って、無限の、莫大な債務を運用するとなると、あっという間にタガが外れるのではないか」

そうした懸念に、MMTはこう答える。「無限ということにはならない。今度は、実質的なリソースが制約となる。道路をつくるのに、どれだけ労働力が必要かということだ。徴税は、通貨への需要を確保し、経済の過熱を冷ますのに有効なツールだ」しかし、MMT理論家の考えでは、インフレが引き起こされることにまでならない。

米国は、2008年の危機以降、劇的に財布のひもを緩めてきた。翌年には、GDPの10%の国債を発行した。これは昨年までに、GDPの2.6%、4390億ドルにまで縮小した。

議会予算局は、今後数十年で、ベビーブーマーが引退するにつれ、社会保障費が増えるため、ギャップが広がると予想する。このリスクは、財政タカ派に良く言及される。

主流派のハト派は、長期的な警告は受容するにせよ、歴史的な低金利について指摘する。投資家は債務について今のところ心配していない。それならどうして遣わないのか?と。

MMTはもっと踏み込んでいく。問題は、誰が耳を傾けるか、だ。

「彼らは中央銀行や、財務関係の大臣や省庁から排除されている」と、ワシントンのピーターソン世界経済研究所の特別研究員、ジョー・ギャニオンはいう。ギャニオンは、すべてのMMT理論に同意しているわけではないが、世界景気は「MMT勢が影響力を持つには良い時期だ」と思える程度に弱含んでいる。


理解者を両手両足で数えた日々

MMTは今、異端扱いされているように見えるが、ミズーリ・カンザス市立大学の経済学教授ランディ・レイによれば、この理論がほとんど認定されなかった時代があった。

1998年に「現代金融解説」を書いたレイは、同意見の同僚の中で、どれだけの人がこの理論を理解したか数えたものだと語る。「10年後には、両手両足も使わないといけなかった。」

いまでは、ブログのおかげで、世界中に何千人もの理解者がいるという。特に、イタリアやスペインのような、経済難に見舞われている国々で。MMTは、統一通貨の宿命について早くから指摘してきた。金融の国家主権がなければ、危機において国家は役に立たなくなる。

米国では、少なくとも一人の大統領候補が、MMT理論に耳を傾けている。バーニー・サンダースのアドバイサーの中に、MMTのリーダー的存在がいる。サンダースが上院予算委員会に雇ったステファニー・ケルトンとジェームズ・K・ガルブレイスである。ガルブレイスの父親は、ジョンソン大統領の「偉大なる社会」構想に貢献したジェームズ・K・ガルブレイスである。


普及へのハードルは高い

この組み合わせは合理的だ。サンダースは、医療、教育、インフラに巨大な投資を約束している。財政のゆるみよりも緊縮の方が危険と見るエコノミストとは、相性が良い。

しかし、選挙運動に行ってみると、このバーモント州議員が「債務のタカ派」であり、支出計画は増税とドル単位で合わせられていることがすぐにわかる。

「彼は理論には興味がない」と、サンダースの政策ディレクターであるウォレン・ガンネルズは話す。「彼は、中間層を立て直し、賃金を上げ、他の先進国のどこよりも高い貧困率を必ず下げられる方法に興味がある」

つまり、MMTエコノミストを抱えた左派の候補でさえも、この主義主張を支持するにはいたっていないということだ。かようにこの理論の普及は難しい。

家計と政府債務のアナロジー

反論する人々は、金を刷れば国は最終的に、ジンバブエのようなワーストケースシナリオに陥ると論じる。貨幣発行が通貨価値を毀損し、紙幣から0がはみ出してしまうというのだ。

ベネズエラの過度な消費は、昨年、180%のインフレをもたらした。日本の場合はもっと複雑だ。長年の債務は、国債購入者を脅かしてもいないしインフレの発散も起きていないが、経済成長ももたらしていない。

バージニア大学の政治学教授ジム・サベージによれば、アメリカには特に、財政規律へのこだわりがある。これは米国の初期からみられるもので、「長年にわたり、英国にさかのぼる中央集権政治への恐れ」が、組み込まれているという。

レイは、アメリカ史には、それとは異なる考えが広まった時代があるという。第二次世界大戦では、米国の権力者は、長年忘れられていたことを学んだ。「常に労働可能な失業者はいて、彼らを働かせることができる」

サベージは、アメリカ人は歴史的に、家計と国家債務を結びつけて考えがちだという。このカテゴリーエラーはいまでもはびこっている。

2010年、政府職員への給料凍結を決定したとき、オバマ大統領は「中小企業や家庭は節約している。政府もそうしなければ」と語った。

このコメントに顔をしかめるのは、MMT理論家だけではない。多くのエコノミストが、家計が節約しているときには、需要の落ち込みを防ぐために、政府は逆のことをしなければならないと考えている。

しかしながら、この論議は、議会ではあまり影響力がない。連邦政府が、回復を持続するために、あまりにも多くの重荷を負ってきたからだと、ソシエテ・ジェネラルのマルコウスカはいう。

「金融緩和の決定をする場合には、一握りの人々の決定で済む。財政刺激に政治的合意を形成するとなると、もっと苦労することになる」

レイは、前回の景気の落ち込みの後、世論が変化することを期待した。大恐慌の後に、ケインズ経済学が台頭し、ニューディール政策が実施されたように。しかし「政策立案者に関していえば、実質的には何も変わっていない」という。

「国民の方に、変化が起こったと思う」と彼はいう。サンダースと共和党ドナルド・トランプの反体制運動は、考え方を変える一打となると。

「稀な経験」

ほとんどのエコノミストは、米国が直近で不況になるとは予想していない。しかし金融市場の混乱や、アメリカ政治の大騒ぎが加わり、誰も経済の不調に処方箋を見出していないという認識は強化されている。

超党派制作センターの副センター長である共和党のビル・ホーグランドは、議会予算局と上院予算委員会で、40年にわたり、米国の財政政策形成に携わってきた。

彼は、インディアナの農場での厳しいしつけによって、「ベルト地帯の外側の多くのアメリカ人に、いかに支出と収入をバランスしなければならないという考え方が染みついている。」かわかるという。政府債務は違うものだということは、彼は認める。長期的にバランスする限りにおいては、現在は需要を支えるため、債務を増やしてもいいだろうと考えている。

ホーグランドは、何よりも、根本的な変化が水面下で起こっていることがわかるという。2008年の「破壊的なイベント」は、過去に10回も起きていないような形で、アメリカの政治を変えつつある。経済学の正統派もヒットをくらっている。

「我々は、すべての経済理論が試されるという、非常に稀な経験をしつつある。」と彼は語った。



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カンザスのMMTブログ

最近気になるMMT(Modern Money Theory)なる経済学理論について、入門的な読み物があったので、訳してみました。
翻訳上の間違いがあったら教えてもらえるとありがたいです。

以下は全部で52節ある入門ブログの第2節です。MMTの背景となる基礎知識が書かれています。

元のサイト
MMP Blog 2: THE BASICS OF MACRO ACCOUNTING - New Economic PerspectivesNew Economic Perspectives

誰かの資産は誰かの負債

あらゆる金融資産には、それと同等の金融負債がある。これは会計学の基本原則である。預金は家庭の金融資産だが、同額の銀行の負債となっている。国債や社債は、家庭の資産だが、発行者の債務である。家庭は負債を抱えてもいる。学生ローンや、住宅ローンや、自動車ローンなど。これらは債権者(年金基金やヘッジファンド、保険会社といった様々な金融機関)の資産として保有されている。家庭の正味の財産は、すべての金融資産からすべての金融負債を差し引いたもので、それがプラスなら、財産はプラスである。

内部財産と外部財産

経済をセクター分けして考えてみよう。もっとも簡単に分けるなら、公共セクター(政府や自治体)と民間セクター(家庭と企業)となる。

民間で発行された金融資産と金融負債を考えるならば、金融資産の合計が金融負債の合計となる。つまり、民間についてだけ考えるならば、純金融財産はゼロとなるはずだ。これは民間セクターの内部にあるので、「内部的財産」とも言われる。民間セクターが金融財産をプラスにするには、「外部的財産」の存在が必要となる。つまり金融債権が別のセクターに存在しなければならない。ここでは簡単に民間セクターと公的セクターに分けているので、外部の金融財産とは、政府の負債の形をとることになる。民間セクターは政府通貨(硬貨や紙幣を含む)だけでなくあらゆる種類の政府債券(短期国債、長期国債)を金融資産として持っていて、それは純財産の一部となっている。

非金融的財産(実物資産)についてのメモ

ある人の金融資産は、必ず誰か他の人の金融負債である。総体的には、正味の金融財産はゼロと等しい。しかしながら、不動産においては、誰かの財産が他の人の負債であるということはない。つまり総体的に見ると、正味の財産は実物(非金融的)資産の価値と等しくなる。たとえば、あなたがローンで自動車を買ったとする。あなたの金融負債(自動車ローン)は、自動車ローン会社の金融資産で相殺される。それらは差し引いてゼロになるので、残るのは実物資産、つまり、自動車そのものの価値となる。われわれの今後の議論は、主に金融資産と負債に限られたものとなるが、実物資産が個人レベルにおいても総体的レベルにおいても正味財産の一部となることは、常に念頭に置いておかねばならない。全ての金融負債を全資産(実物と金融)から差し引いた後に、非金融(実物)資産が残る。これが、総体的な正味財産である。


民間セクターの金融財さんは公共セクターの負債

収入や支出のフローは蓄積してストックとなる。民間セクターが正味金融資産をある期間に蓄積するということは、その期間、支出が収入より少なかったということだ。つまり、貯蓄したということだ。公共セクターと民間セクターのみの単純なモデルでは、これらの金融資産は政府の負債(政府通貨や債券)である。これらの政府の債務は、つまり、政府が税収よりも多く支出しているから発生している。当該期間に、政府の支出のフローに対して税収フローが不足して、借金となっている状態だ。この借金は政府債務のストックとなり、当該期間の民間セクターの金融財産の累計と価値が同じになる。

こうした2セクターのみの単純な例においては、民間セクターの純金融資産は、政府の発行する負債とまったく合致するということを覚えてほしい。政府が、常に財政を均衡させる場合、つまり支出を完全に税収と一致させる場合、民間セクターの金融財産はゼロとなる。政府が継続的に予算を黒字にしている場合(支出が税収より少ない場合)民間セクターの正味財産はマイナスになる。つまり、民間セクターは公共セクターから借金している状態になる。

この2セクターモデルでは、公共セクターも民間セクターも共に黒字化することは不可能だ、というジレンマに思い至るだろう。そして、もし公共セクターが黒字となるならば、等式から考えて、民間セクターは赤字となる。公共セクターが未払いの負債を回収できるだけの黒字を得ようとするなら、民間セクターは同じ分の赤字を抱えることになり、正味金融財産はいずれゼロになる。

他国の負債は国の金融資産

次に上げる分類方法は、3セクター区分である。国内の民間セクター、国内の公共セクター、そして海外セクター(外国の政府、企業、家庭)である。このケースでは、国内の公共セクターが財政を均衡させて、一定期間における支出を税収と同じに維持していたとしても、国内の民間セクターが海外に対して債権を持つということができる。国内セクターの正味金融資産の蓄積は、海外の正味金融負債と一致する。要するに、現実的な話、、国内の民間セクターは国内の政府の負債と、海外の負債によって正味金融財産を貯めることができるのである。国内の民間セクターが、政府の負債(こちらは正味金融財産にプラスとなる)と海外へ債券を発行する(こちらは正味金融資産を減じる)ことを同時に行うことは可能である。後日セクター間のバランスについても議論したい。

セクター間会計の基礎は、ストックとフローの概念と関係している

3セクター区分での説明を続けよう。国内の民間セクター(家庭と企業)、国内の政府セクター(地方知自体や政府を含む)、そして海外セクター(家庭と企業と政府を含む)各セクターでは、一定の会計期間、ふつう一年だが、その期間に収入と支出が起こるものと考えられる。どのセクターにおいても、毎年収入と支出を均衡させる理由はない。収入よりも支出を少なくすると、その年は黒字となる。収入より支出を多くすると、その年は赤字となる。均衡予算とは、一年間の中で支出と収入が等しくなることである。

この議論から考えると、黒字予算とは貯蓄フローと同じことであり、それは金融資産の正味累計となる。同じ理由で、赤字予算は正味金融財産を減らす。赤字になっているセクターは、過去に黒字によって蓄積された金融資産を利用しているか、もしくは新たに赤字と同額の債券を発行する必要がある。一般的な言い方では、赤字の支払いを、資産を処分可能な銀行預金(負の貯金)と交換することによって支払うという。もしくは、処分可能な銀行預金を得ることで債券を発行している(「借りる」)。蓄積された資産がなくなって、赤字の予算を続けるならば、負債を毎年増やしていくしかない。一方、黒字予算を続けているセクターは、正味金融資産を増やしていく。この黒字は他の少なくとも一つのセクターからの金融債権という形になる。

実物資産に関するメモ2

もし、貯蓄でもって実物経済を購入すると、どうなるだろう?この場合、金融資産は単に他の誰かに渡る。たとえば、あなたが銀行に貯金し、あるとき実物に変えたいと思い、絵画や、クラシックカーや、切手や、不動産や、機械、あるいは企業を買うとする。金融資産を実物資産に変えたわけだ。しかし、売り手は反対の取引をして、金融資産を得る。ポイントは、民間セクターは、たとえ誰かの金融資産がある人のポケットから他の人のポケットに移動したとしても、全体としては黒字を保っていることだ。

まとめ:

あるセクターの赤字は他のセクターの黒字

これらをまとめると、あるセクターの赤字は、他のセクターの黒字を合計したものと同じになるということだ。ワイン・ゴドリーの先駆的な研究によって、われわれはこの原則をシンプルな等式によって述べることができる。

国内民間セクター残高+国内政府残高+海外の残高=0

たとえば、海外セクターが均衡予算であったとしよう。さらに、国内の民間セクターの収入が1000億ドルで、支出が900億ドルで、年間に100億ドルの黒字だとしようすると、恒等式によって、国内の政府セクターはその年、100億ドルの赤字となる。つまり、民間セクターはその年、100億ドルの金融財産を溜め、それは国内の政府セクターの100億ドルの負債によるということになる。

もう一つの例をみよう。海外セクターの支出が収入より少なく、200億ドルの黒字だったとしよう。同時に、国内の政府セクターがやはり収入より支出が少なく、100億ドルの黒字だったとしよう。会計の等式から考えれば、当該期間に、国内の民間セクターは、300億ドル分の赤字となるはずである。同時に、その正味金融財産は300億ドル減るはずである。一方、国内の政府セクターは金融財産を100億ドル増やし、海外セクターは200億ドル増やす。

一つのセクターが黒字にすれば、少なくとも一つ、または他のセクターすべてが赤字となるはずなのである。

すべてのセクターが、黒字となることは不可能なのだ。

それは、レイク・ウォビゴン町の人たちが、自分たちは全員平均以上だと思っているのと同じである。


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Author:アリス
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最近ケインジアン。

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